伊号第三百七十二潜水艦

日本の潜水艦
伊号第三七二潜水艦から転送)

伊号第三百七十二潜水艦(いごうだいさんびゃくななじゅうにせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦伊三百六十一型潜水艦の12番艦。本艦のみ基本計画番号がS51Bと改められており、俗に潜輸改(せんゆかい)とも呼ばれる。設計時から魚雷発射管がなく、物資搭載量が増加している[2]横須賀港在中泊に敵空母機の攻撃を受け沈没した。

艦歴
計画 昭和19年度計画(マル戦計画
起工 1944年2月10日
進水 1944年6月26日
就役 1944年11月8日
その後 1945年7月18日戦没
除籍 1945年9月15日
性能諸元
排水量 基準1,440t、常備1,779t
水中2,215t
全長 73.50m
全幅 8.90m
吃水 4.76m
機関 艦本式23号乙8型ディーゼル2基2軸
水上:1,850馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:13.0kt
水中:6.5kt
航続距離 水上:10ktで5,000海里
水中:3ktで120海里
燃料 重油:282トン
乗員 55名
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm単装機銃2挺
備考 安全潜航深度:75m
物資搭載量:艦内90トン、艦外不明、20トン?[1]

艦歴

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1944年のマル戦計画第2961号艦[3]。1944年2月10日、横須賀海軍工廠にて起工[3]。同年6月26日に進水[3]。11月8日、竣工[4]佐世保鎮守府籍。同日、第十一潜水戦隊に編入[4]

1945年1月8日、第七潜水戦隊に編入[5]

「伊372潜」は2月4日にバトリナオ輸送(陸軍搭乗員のフィリピンから高雄への輸送)を命じられ[6]、2月8日に横須賀から高雄へ出発したが、作戦中止となった[7]

3月20日、第七潜水戦隊は解隊され、「伊372潜」は「伊369潜」などとともに第十六潜水隊を編成した[8]

4月1日(「第6艦隊戦時日誌」によれば4月5日[9])、横須賀を発し、ウェーク島への輸送任務に従事[10]。4月18日、ウェーク島着[10]。物資50トンを揚陸した[11]。また、物資30トンが敵潜水艦の攻撃を受け退避行動をとった際に失われた[11]。復路では約60名を便乗させ、4月29日に横須賀に帰投[10]

帰投後、「伊372潜」は横須賀海軍工廠で入渠し、浮力タンクの撤去、三式探信儀新設など様々な工事がなされた[12]

6月15日、横須賀を発し、2度目のウェーク島輸送任務に従事[10]。6月27日にウェーク島に着き、物資揚陸を行ったが、前回同様の経緯で50トン中20トンは失われた[13]。7月10日、横須賀に帰投[10]

7月18日、横須賀空襲の際に右舷中部付近に至近弾があり、それによる損傷で沈没[14]。戦死者は無し、または1名[14]

9月15日、除籍。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』447頁による。

艦長

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  1. 松下寛 大尉:1944年11月8日 -
  2. 高橋真吾 大尉:1945年5月15日 -

注釈

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脚注

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  1. ^ 数値は『写真 日本の軍艦』の解説より。『艦長たちの軍艦史』によると伊361型の搭載量は艦内65トン、艦外40トンで合計105トン
  2. ^ 輸送潜水艦伊号第361型列伝、9、208ページ
  3. ^ a b c 輸送潜水艦伊号第361型列伝、208ページ
  4. ^ a b 輸送潜水艦伊号第361型列伝、210ページ
  5. ^ 戦史叢書第98巻 潜水艦史、381ページ
  6. ^ 戦史叢書第98巻 潜水艦史、414-415ページ
  7. ^ 輸送潜水艦伊号第361型列伝、211ページ
  8. ^ 戦史叢書第98巻 潜水艦史、435ページ
  9. ^ 輸送潜水艦伊号第361型列伝、211-212ページ
  10. ^ a b c d e 戦史叢書第98巻 潜水艦史、436ページ
  11. ^ a b 輸送潜水艦伊号第361型列伝、212ページ
  12. ^ 輸送潜水艦伊号第361型列伝、212-213ページ
  13. ^ 輸送潜水艦伊号第361型列伝、219ページ
  14. ^ a b 輸送潜水艦伊号第361型列伝、220ページ

参考文献

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