伊勢美登
橿原神宮宮司。
伊勢 美登(いせ よしのり、1924年〈大正13年〉12月9日 - 2009年〈平成21年〉5月18日)は、日本の神職。橿原神宮宮司。
時代 | 昭和時代 - 平成時代 |
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生誕 | 1924年12月9日[1] |
死没 | 2009年5月18日(84歳没) |
神号 | 伊勢美登大人之命 |
主君 | 昭和天皇→上皇 |
父母 | 父:伊勢岩吉 |
子供 | 文一 |
奉職神社 | 橿原神宮 |
生涯
編集出生と前半生
編集昭和16年(1941年)、畝傍中学校を卒業する[1]。同18年(1943年)、運輸省水路部技術官養成所を修了し、海軍気象部に入った[1]。
神道人として
編集昭和27年(1952年)、奈良県神社庁の録事に就任する[1]。
昭和29年(1954年)、橿原神宮出仕となり[1]、さらに昭和33年(1958年)には同宮権禰宜、昭和43年(1968年)に同宮禰宜と昇進し、平成9年(1997年)4月1日に権宮司に就任した[2]。
橿原神宮宮司
編集平成12年(2000年)5月15日、宮司に昇任した[2]。同年8月8日、御鎮座百十年記念献燈祭を斎行した[2]。
平成14年(2002年)5月29日、神武天皇陵への参拝を終えた当時の今上天皇・皇后が橿原神宮に到着すると、伊勢が2人を先導して幣殿まで率いた[3]。
平成15年(2003年)、奈良県神社庁長に就任し、平成19年(2007年)まで務めた[2]。また、神社本庁監事、同評議員、国民精神研修財団監事、神道政治連盟監査委員長、同連盟奈良県本部長などを務めた[2]。
平成19年(2007年)9月30日、宮司を退き、名誉宮司に就任した[2]。
平成21年(2009年)5月18日22時5分、橿原市の病院に於いて、心不全により死去した[+ 1]。83歳だった[2][+ 1]。喪主は長男の文一が務めた[+ 1]。同年7月4日にはセレモニーホール橿原に於いて橿原神宮葬が執り行われた[+ 1]。
著作
編集- 「天皇皇后両陛下の橿原神宮御親拝を仰いで」『祖国と青年』第287号、日本青年協議会、2002年8月、8-10頁。