四海波 静太夫(しかいなみ せいだゆう、1836年4月16日天保7年3月1日) - 1883年明治16年)11月1日[1])は、伊勢国員弁郡(現在の三重県いなべ市員弁町大泉)出身で境川部屋宮城野部屋、再度境川部屋に所属した力士。本名は水谷 清八。2代鏡山。身長体重不明。最高位は東前頭2枚目。

経歴

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1859年11月境川部屋に入門し、故郷の大泉を四股名にしたが、伊勢ノ濱大五郎に改名。期待をされて盛岡藩抱えになった。1871年4月、34歳で入幕。宮城野部屋に転籍して荒馬大五郎に改める(宮城野の婿になった為)。その後巡業中の女性問題から破門、同時に離縁され、四海波に改名して古巣に復帰。幕内上位を保っていたが三役昇進はならず、1879年6月限りで引退し鏡山を襲名。没後の1893年、地元大泉の有志によって石碑が建てられた。

成績

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  • 通算26場所69勝79敗47休24分預

改名

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大泉→伊勢ノ濱大五郎→荒馬大五郎→四海波静太夫 [2]

出典

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  1. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3437&l=j
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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