任覚
任覚(にんがく、天永元年(1110年)[1] - 治承5年2月12日(1181年2月27日))は平安時代後期の真言宗の僧。出自は三条源氏で、大蔵卿・源行宗の子。本名を覚賢という[2]。大夫法印を号した。
保延3年(1137年)に仁和寺の僧正・信証に灌頂を受け、密教を修める[3]。保元元年(1156年)に権律師になり、平治元年(1159年)には東寺長者となった[3]。
応保2年(1162年)権大僧都に転じ、長寛元年(1163年)に国家鎮護のために孔雀経法を修して法印に叙せられた。雨乞いの修法に優れていることで知られ、承安4年(1174年)6月の旱魃の際には祈雨を行っており、霊験があったという[3]。治承5年(1181年)72歳(73歳、74歳とも)で入寂。著書に『印義訣』がある。
脚注
編集参考文献
編集- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年