今給黎誠吾

日本の政治家

今給黎 誠吾(いまきいれ せいご、1876年明治9年)5月30日[1] - 1953年昭和28年)2月16日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家衆議院議員(1期)。枕崎市名誉市民[3]

今給黎誠吾

経歴

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鹿児島県川辺郡、のちの東南方村(枕崎町を経て現枕崎市[3][4])で今給黎久清の長男として生まれ、1878年(明治11年)家督を相続する[5]市立大阪商業学校に学ぶ[2]

農業を営む傍ら[5]、同県川辺郡東南方村長、鹿児島県会議員、同参事会員、枕崎町長を歴任する[2]。1910年(明治43年)第3代東南方村長に就任してから初代枕崎町長を1947年(昭和22年)に退任するまで、連続36年8カ月在任した[3][4]。その他、枕崎町農会長、同煙草耕作組合長、川辺郡教育会長、同青年会長、養鶏組合中央会理事、鹿児島県養鶏組合連合会長、枕崎町産業組合長を務めた[2]。紅茶の栽培を推進した[4]

1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙では鹿児島県第1区から無所属で出馬して当選[2]。のち昭和会に属し、1期務めた[2]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、32頁。
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 61頁.
  3. ^ a b c 『鹿児島県姓氏家系大辞典』333頁。
  4. ^ a b c 『郷土人系 上』158-159頁。
  5. ^ a b 人事興信所 1937, イ319頁.

参考文献

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