今出川公久
今出川 公久(いまでがわ きんひさ)は、江戸時代後期の公卿。官位は正二位・権中納言。
今出川公久像(京都大学附属図書館所蔵)部分 | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文化3年5月23日(1806年7月9日) |
死没 | 天保7年8月17日(1836年9月27日) |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇 |
氏族 | 今出川家 |
父母 | 父:今出川尚季、母:鷹司致子 |
兄弟 | 公久、随季 |
妻 | 不詳 |
子 | 実順、美賀子 |
経歴
編集文化4年(1807年)に叙爵。以降累進して、侍従・右近衛権少将を経て、文政元年(1818年)に従三位となり、公卿に列する。その後も左近衛権中将・踏歌節会外弁を経て、文政7年(1824年)に従二位権中納言となる。天保3年(1832年)よりは大歌所別当を兼務。しかし天保7年(1836年)にすべての任職を辞した。同年に死去。享年31。