今井 茂右衛門 (いまい もえもん、明治17年(1884年8月13日 - 昭和44年(1969年2月18日)は、山梨県出身の実業家。官選第19代・民選初代甲府市長。

略歴

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山梨県甲府市魚町(現在の甲府市中央三丁目)に、父「茂右衛門」、母「ゆき」の長男として生まれる[1]。山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、家業の魚問屋[2]に従事した。

大正13年(1924年)2月11日に市政刷新を目指して甲府革新党[3]の結党が企図され、今井は高野孫左衛門(高野毅)、牛山儀助ら同志とともに参加する[4]。大正15年(1926年)5月28日の選挙で甲府市議会議員(在任期間:大正15年(1926年)5月28日 - 昭和9年(1934年)5月27日)に当選し、昭和5年(1930年)6月には甲府市議会議長(議長在任期間:昭和5年(1930年)6月7日 - 昭和9年(1934年)5月27日)に就任している。

昭和21年(1946年)2月に、前任の野口二郎市長が戦時中の責を負って辞任すると、清廉、着実な人柄に声望があった今井が旧制度下における甲府市長(官選期の在任期間:昭和21年(1946年)3月18日 - 昭和22年(1947年)3月10日)に就任し多難を極める市政に手をつけたが、「地方自治法(昭和22年4月法律第67号)」公布に伴う市長公選の実施にあたり辞任した。

第一回市長選挙[5]には、前市長の今井茂右衛門(無所属)と甲府市議会副議長の鷹野啓次郎(社会党)[6]の二名が立候補し、昭和22年(1947年)4月5日に実施された選挙の結果、初代公選市長に今井が当選したが、昭和22年(1947年)9月に病気のため在任5か月(民選期の在任期間:昭和22年(1947年)4月5日 - 同年9月3日)で辞任した。

親族

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脚注

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  1. ^ 幼名は豊太郎、大正9年(1920年)9月に四代目 茂右衛門を襲名。
  2. ^ 森田屋の屋号で江戸期から続く魚荷問屋。1932年(昭和7年)1月には魚荷問屋の営業を廃し甲府魚市場株式会社を設立。
  3. ^ 新体制運動の全国的な展開に伴い1940年(昭和15年)11月に解散。
  4. ^ 『山梨県史 通史編5 近現代1』、pp.579 - 580
  5. ^ 投票総数37,343票、投票率75.42%、今井 25,145票、鷹野 9,855票
  6. ^ 第四回市長選挙(昭和28年(1953年)2月10日)で当選以降、昭和43年(1968年)11月に辞任するまで公選四代目の甲府市長を務めている。