今井兼光

平安時代後期の武士

今井 兼光(いまい かねみつ、生没年不詳)は、平安時代後期の武士木曾義仲の家臣。今井尉之頭兼光とも[1]。同時代史料には見えない。

略歴

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中原兼遠の子とされる[1]。弓の名手で、木曾義仲の四天王の一人に数えられることもある[2]。主君である義仲が討たれた後、土佐に落ち延びた。高知市には天保年間子孫が建てたとする兼光地蔵が現存する[3]

脚注

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  1. ^ a b 木曾義仲史跡”. 2022年3月30日閲覧。
  2. ^ 村山修一 2003, p. 45.
  3. ^ 今井兼光”. 2022年3月30日閲覧。

参考文献

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  • 村山修一『京都大仏御殿盛衰記』法蔵館、2003年。ISBN 978-4-8318-7481-8