仁平馨
日本のプロ野球選手 (1971-)
仁平 馨(にへい かおる、1971年6月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(外野手)。
栃木県立宇都宮工業高等学校硬式野球部 外部コーチ | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県芳賀郡益子町 |
生年月日 | 1971年6月18日(53歳) |
身長 体重 |
180 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト2位 |
初出場 | 1990年7月14日 |
最終出場 | 1998年6月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集宇都宮工業高では、1989年に春のセンバツに出場するが、1回戦で近大附高に敗退した。しかし、4割の打率と高校通算69盗塁という成績が評価され、1989年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団。
プロ1年目の1990年より一軍出場を果たし、1994年にはスタメンとしても出場するなど82試合に出場するが、その後は伸び悩み1997年オフに無償トレードで中日ドラゴンズに移籍。
中日でも一軍では活躍できずに、1999年オフに戦力外通告を受け退団。その後、千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けるも不合格に終わり現役を引退。
2021年3月26日に学生野球資格を回復し[1]、10月16日に母校・宇都宮工業高の外部コーチに就任し、初めて指導者の立場に立っている[2]。
選手としての特徴
編集この選手の選手としての特徴に関する文献や情報源が必要です。 (2012年3月) |
高校通算69盗塁という俊足を生かしたプレーと、1994年に初本塁打を猪俣隆から、1995年には今中慎二(当時中日ドラゴンズ)、石井一久(当時ヤクルトスワローズ)から本塁打を放つなど左キラーとして活躍した。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1990 | 広島 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1991 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .500 | .000 | .500 | |
1993 | 38 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1994 | 82 | 163 | 150 | 26 | 40 | 3 | 1 | 3 | 54 | 17 | 11 | 3 | 2 | 0 | 10 | 0 | 1 | 37 | 4 | .267 | .317 | .360 | .677 | |
1995 | 34 | 66 | 61 | 8 | 19 | 1 | 0 | 2 | 26 | 9 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 15 | 2 | .311 | .338 | .426 | .765 | |
1996 | 69 | 23 | 21 | 16 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | .190 | .227 | .238 | .465 | |
1997 | 15 | 8 | 7 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .125 | .000 | .125 | |
1998 | 中日 | 4 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:8年 | 246 | 267 | 245 | 57 | 63 | 5 | 1 | 5 | 85 | 30 | 24 | 9 | 4 | 1 | 14 | 1 | 3 | 60 | 7 | .257 | .304 | .347 | .651 |
記録
編集- 初出場:1990年7月14日、対中日ドラゴンズ14回戦(広島市民球場)、6回裏に達川光男の代走として出場
- 初盗塁:1991年10月14日、対阪神タイガース26回戦(阪神甲子園球場)、5回表に二盗(投手:仲田幸司、捕手:山田勝彦)
- 初安打・初打点:1994年4月14日、対ヤクルトスワローズ2回戦(広島市民球場)、12回裏に高津臣吾から三塁サヨナラ適時内野安打
- 初先発出場:1994年5月24日、対中日ドラゴンズ9回戦(長良川球場)、7番・中堅手として先発出場
- 初本塁打:1994年7月2日、対阪神タイガース13回戦(富山市民球場アルペンスタジアム)、3回裏に猪俣隆から3ラン
背番号
編集- 55 (1990年 - 1993年)[3]
- 00 (1994年 - 1997年)
- 59 (1998年 - 1999年)
脚注
編集- ^ “学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人 日本学生野球協会. 2021年11月4日閲覧。
- ^ “母校で甲子園目指す 元広島・仁平馨さん、宇工コーチに”. 下野新聞. (2021年10月19日) 2021年11月4日閲覧。
- ^ 入団当初の背番号は43だが、1990年春季キャンプ途中にマイク・ヤングと背番号を交換。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 仁平馨 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 【8月13日】1994年(平6) サヨナラスクイズ!同じ年に同じ投手から殊勲打 - ウェイバックマシン(2008年9月18日アーカイブ分) - スポニチ