人間なんて
吉田拓郎(よしだたくろう)のアルバム
『人間なんて』(にんげんなんて)は、1971年11月20日に吉田拓郎(当時はよしだたくろう)がリリースしたオリジナル・アルバムである[2][3][4][5][6]。レコードナンバーELEC-2003 初リリース時の価格は1900円[3]。
『よしだたくろう 人間なんて』 | ||||
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よしだたくろう の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | フォークソング | |||
レーベル | エレックレコード | |||
プロデュース | 吉田拓郎 | |||
チャート最高順位 | ||||
よしだたくろう アルバム 年表 | ||||
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『人間なんて』収録のシングル | ||||
解説
編集- エレックからの最後のリリースとなるこのアルバムは、プロデューサーを拓郎自身が務め[7]、ディレクターに加藤和彦、木田高介、またアレンジャーや参加ミュージシャンに小室等、遠藤賢司、松任谷正隆、林立夫(後にティン・パン・アレーに参加)、小原礼(後にサディスティック・ミカ・バンドに加入)など、この後日本のロック&ポップスの礎を築くことになるミュージシャンを起用した[2][7][8]。自身はフォークでない話す[9]、当時のフォークのイメージとは異なった拓郎の音楽性の多彩さを感じさせる[5]。1970年代初頭の日本の音楽界は、フォークやロック等の音楽ジャンルに明確な区別があったわけではなく[2]、"新しい日本の音楽"という沸々と滾るマグマのような流れの中で混在しつつ共存していた[2]。吉田拓郎はその頂点、あるいは"クロスロード"的交流点に立っていた[2]。本アルバムではプロデューサーとして、フォークもロックもブルースもファンクも、全てを包括しようという大胆な試みがなされている[2]。
- 拓郎自身が自分を含めて、いつもテーマとしている"人間"が主役の曲目がずらりと揃い[3]、自身の弱さを曝け出し、当時の心境をストレートに歌い上げる[3]。
- ジャケットは当時拓郎が住んでいた杉並区堀ノ内の妙法寺隣のアパートの階段で撮影された[2][10][11][12]。アナログ盤の中ジャケットには、この自宅の部屋で曲作りをする写真もある[2]。
- ライナーノーツは広島フォーク村の盟友で、拓郎と一緒にエレックレコードに入社し、当時は拓郎のマネージャー(初代)を務めていた伊藤明夫が書いた[3]。
- 収録曲の「花嫁になる君に」は後に黄金コンビと呼ばれることになる作詞家・岡本おさみとの第1作である[5][7][13]。
- 拓郎はエレック時代のレコードは弱小会社で、スタジオが取れなかったり、自分やバックがミスしたり、アレンジが良くなかったりで内容は悪いと話している[14]。
- 拓郎人気を不動のものにした「フォーク」そのものの代表的アルバム[15]。当時の拓郎の臨界に達したエネルギーがLPというキャンバスに放出されたような内容で[7]、これだけ名曲揃いのアルバムも希有である[7]。アルバムリリースから2カ月後、拓郎は正式にCBS・ソニーに移籍[7]。以降、驚異的なヒットを記録し、フォークソングをメジャーな舞台へ引き上げる[7][16][17]。
収録曲
編集- 作詞・作曲:よしだたくろう(特記以外)
- 人間なんて
- ライブでは長時間演奏される曲だが、こちらは弾き語りで2分ほどである[2][7]。発表時から「イメージの詩」を凌ぐなどと評判をとったが[6][7][18][19]、「日本のフォークを象徴する名曲」[4]「日本の音楽史における伝説」[19]とまで評価され[4][6][7][19]、伝説化していったのは[11][20][21][22]、1971年の第3回全日本フォークジャンボリーや[19]、1975年つま恋[23]、1979年篠島で行われたオールナイトコンサートのラストナンバーとして[24]、時代の節目で長尺バージョンとしてパフォーマンスされてからである[3][6][7][20][21][24][25]。
- 歌詞は「人間なんて ラララ ラララララ」を中心としたサビ部分のみで紹介されることが多いが、実際は広島に対する拓郎の思いを表現した歌詞が続く[18][24][26]。『新譜ジャーナル』1971年5月号の巻頭特集、同誌1971年10月号でも同曲の歌詞が掲載されており[18][26]、1971年5月号ではタイトルに『人間なんて(ヒロシマに帰ろう)』と副題も付いている[26]。歌詞には「フルサトは愛すべきヒロシマ」「ヒロシマへ帰ろう」「何もかも捨ててしまったけど 好きさ 好きさ そうさ 好きなのさ あの あの ヒロシマが」という部分もあり[26][27]、当時はまだ東京に定着するつもりがなかった心情も伺える[27]。拓郎には「いつも見ていたヒロシマ」というアルバム『アジアの片隅で』などにも収録された曲もあるが、これは岡本おさみの作詞なのでタイトルに「ヒロシマ」と表記した真意は分からないが、マスメディアが一般的に「ヒロシマ」と表記する場合は被爆地の意味を込めて使われる[28]。『新譜ジャーナル』1971年10月号では、第3回全日本フォークジャンボリーでの小室等との掛け合いを聞き取ったのか、「よしだたくろうのバカやろう」「よしだたくろうはバカだけど仲良くやりたい」などと小室の歌った部分の歌詞も掲載されている[18]。
- 1991年にMICAがカバーし、とらばーゆのCMソングに採用され、30万枚のヒットとなる。
- 結婚しようよ
- ある雨の日の情景
- 作詞:伊庭啓子 補作詞:よしだたくろう
- 「結婚しようよ」のB面曲。
- ワシらのフォーク村
- 自殺の詩
- 『メモリアルヒット曲集 '70 真夏の青春』に収録された曲のリメイク。
- 花嫁になる君に
- たくろうチャン
- どうしてこんなに悲しいんだろう
- 当時拓郎は高円寺の妙法寺横のアパートに住んでいて[10]、新宿で飲んで帰って、ジェームス・ブラウンのバラードを聴いていたら、妙にしんみりした夜で、無性に染み入る曲を書きたくなってギターを手に取ったら、その頃ハマっていたコード進行で一気に書けたという[10]。1976年のアルバム『明日に向って走れ』にリメイクバージョンが収録されている。「人間なんて」と通底する名曲[7]。拓郎の大ファン・森永卓郎は「『どうしてこんなに悲しいんだろう』がいちばん心にしみるし、聴くのも好きなんです。でも中学時代にさんざん練習したけど、これを自分で演奏するのは不可能に近い。ものすごく繊細で、微妙なバランスの上に成り立っている曲なので、素人が拓郎さんの曲と歌を再現するのは、まぁ不可能なんですね。それに比べると(演奏が簡単な)『人間なんて』は最高に盛り上がれる」などと述べている[32][33]。2013年6月24日、ニッポン放送『坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』にゲスト出演した竹内まりやのリクエストで本曲を竹内と坂崎幸之助、拓郎の3人で歌唱した[34]。拓郎の歌に、竹内が思わず「本物だあ」と声を上げた。
- 笑えさとりし人ヨ
- やっと気づいて
- 川の流れの如く
- ふるさと
参加ミュージシャン
編集
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受容
編集歌手の中村雅俊は、若いころ吉田の歌をよく聞いていたとリアルサウンドとのインタビューの中で話しており、最も魅力的な楽曲として「人間なんて」を挙げている[35]。 当時のライブにおける吉田のパフォーマンスについて「歌ってるときはガラガラ声なんだけど、それでもやっぱりガーッと歌い続ける姿だとか、ああいうのはちょっと打たれたりしますね。」と話している[35]。 中村にインタビューした小野島大はサビの部分を延々と歌うところが一種のトランス状態にあるのではないかと指摘しており、中村も酔っぱらった時にあのような感じになると答えたうえで、「あの止まらない感じが、不思議な連帯感と感動を呼んで。」と話している[35]。
脚注・出典
編集- ^ 「オリコンチャートブック〈LP編(昭和45年‐平成1年)〉」ORICON BOOKS、1990年5月1日、309ページ。
- ^ a b c d e f g h i アーティストファイル 2014, pp. 34–35.
- ^ a b c d e f 青井洋「レコード・ハンティング 人間なんて/吉田拓郎」『新譜ジャーナル』1972年1月号、自由国民社、86頁。
- ^ a b c 「人間なんて 吉田拓郎」『HMV&BOOKS online』ローソンエンタテインメント。2024年12月15日閲覧。
- ^ a b c 「J-Pop CD 吉田拓郎 よしだたくろう 人間なんて」タワーレコード。2024年12月15日閲覧。
- ^ a b c d 「COMPLETE TAKURO TOUR 1979完全復刻盤 吉田拓郎」フォーライフミュージックエンタテイメント。2024年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 大越正実「1971年11月20日、吉田拓郎『人間なんて』リリース。僕らのヒーローが時代のヒーローに」『ニッポン放送 NEWS ONLINE』ニッポン放送、2020年5月15日。2024年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月14日閲覧。
- ^ a b TOMC (2023年7月1日). “あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#25 吉田拓郎とR&B~レゲエ 初期作品群におけるグルーヴと“ソウル(魂)”を振り返る”. サイゾー. サイゾー. 2024年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月22日閲覧。
- ^ 浅田美代子『ひとりじめ』文藝春秋、2021年、52–55頁。ISBN 9784163914275。
- ^ a b c 「ロングインタビュー 吉田拓郎 すべてを語る」『AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!』朝日新聞社、2006年4月1日、40-45頁。
- ^ a b 『吉田拓郎 フォークのプリンスから団塊世代のヒーローに』 音楽CD検定公式ガイドブック(下巻)、音楽出版社、2007年、p.29
- ^ 峯大貴 (2023–04–11). “出鼻を挫かれた新高円寺で逆転ホームランを放つ世界一うまいチャーハン”. suumoタウン. リクルートホールディングス. 2024年12月15日閲覧。
- ^ 昭和フォーク&ロック音楽堂、中村よお、青幻舎、2008年、p53
- ^ ニューミュージック・マガジン、1972年6月号、p83
- ^ ラヴ・ジェネレーション1966-1979 新版 日本ロック&フォーク・アルバム大全、田口史人・湯浅学・北中正和監修、音楽之友社、2000年、p259
- ^ 吉田拓郎 - コトバンク
- ^ 馬飼野元宏『日本のフォーク完全読本』シンコーミュージック・エンタテイメント、2014年、118–120頁。ISBN 978-4401639724。
- ^ a b c d 「71 'FOLK CAMP SONG BOOK 人間なんて」『新譜ジャーナル』1971年10月号、自由国民社、53–56頁。
- ^ a b c d 佐藤剛 (2015年4月10日). “TAP the SONG 「人間なんて」をマイク無しで歌って伝説になった吉田拓郎~第3回全日本フォークジャンボリー”. TAP the POP. 2024–02–22時点のオリジナルよりアーカイブ。2024–12–15閲覧。
- ^ a b つボイノリオ (2019–09–25). “吉田拓郎伝説の始まり。「第3回中津川フォークジャンボリー」”. つボイノリオの聞けば聞くほど. CBCラジオ. 2024年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月15日閲覧。
- ^ a b 「JAPANESE ROCK ANATOMY解剖学 ミッキー「フォークとロックの分岐点フォークジャンボリー」 難波「混沌とした状況の中で吉田拓郎さんが脚光浴びた」」『ZAKZAK』夕刊フジ、2024年4月20日。2024年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月15日閲覧。
- ^ “40年前、吉田拓郎と井上陽水に人生を変えられた若者たちの証言 江口寿史、中村雅俊、京本政樹…”. 現代ビジネス. 講談社 (2019–11–17). 2024年12月15日閲覧。
- ^ 谷岡正浩「クリエイター人生 伊勢正三 メロディーは海風に乗って かぐや姫の解散、つま恋の熱狂と風」『ぴあニュース』ぴあ、2024年3月1日。2024年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月15日閲覧。
- ^ a b c “吉田拓郎、夏のライブの主人公 「伝説」の最終章が始まる”. J-CAST トレンド (2018年8月7日). 2021年11月18日閲覧。
- ^ 「アーティスト・アーカイヴ 吉田拓郎 よしだたくろう」『記憶の記録 LIBRARY』日本音楽制作者連盟。2024年12月15日閲覧。つボイノリオ (2019–09–25). “吉田拓郎伝説の始まり。「第3回中津川フォークジャンボリー」”. つボイノリオの聞けば聞くほど. CBCラジオ. 2024年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月15日閲覧。
- ^ a b c d 「PHOTO DOCUMENT 吉田拓郎」『新譜ジャーナル』1971年5月号、自由国民社、5–7頁。
- ^ a b 小室等「小室等のギター・エッセイ 『吉田拓郎にみるエネルギーの燃焼』」『新譜ジャーナル』1971年4月号、自由国民社、18頁。
- ^ 達川奎三「「語りかける」英語教育 第6回 平和を愛し、物事の奥深さを知る若者を育てる」光村図書出版、2017年8月22日。2024年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月14日閲覧。
- ^ アーティストファイル 2014, p. 133.
- ^ 鷲崎健 (2024年2月18日). “大阪、広島、鹿児島……。選び抜かれた「方言」曲の数々をお届け!”. 鷲崎健のヒマからぼたもち. 文化放送. 2024年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月15日閲覧。
- ^ アーティストファイル 2014, p. 210.
- ^ “森永卓郎の俺が震えた1曲、吉田拓郎「人間なんて」”. アサヒ芸能. (2012年10月29日) 2025年2月11日閲覧。
- ^ “吉田拓郎の影響を受けた森永卓郎氏、原点は「反権力のメッセージソング」”. NEWSポストセブン. (2022年7月8日) 2025年2月11日閲覧。
- ^ 「竹内まりや感激!拓郎と初共演「アイドルでした」」『サンケイスポーツ』産業経済新聞社、2013年6月24日。2013年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月14日閲覧。
- ^ a b c “中村雅俊が明かす、歌と芝居に通じる表現の核「いろんなファクターがそろって形成されていくもの」”. Real Sound|リアルサウンド (2018年12月22日). 2021年11月18日閲覧。
参考文献
編集- 田家秀樹他『アーティストファイル 吉田拓郎 オフィシャル・データブック』ヤマハミュージックメディア、2014年。ISBN 9784636904413。