人見東明
日本の詩人、教育者
(人見圓吉から転送)
人見 東明(ひとみ とうめい、1883年(明治16年)1月16日 - 1974年(昭和49年)2月4日)は、日本の詩人、教育者[2]。本名は圓吉(えんきち)[2][3]。昭和女子大学(日本女子高等学院)の創設者[2]。
ひとみ とうめい 人見 東明 | |
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人見東明 | |
生誕 |
人見 圓吉 1883年1月16日 東京 |
死没 | 1974年2月4日(91歳没) |
墓地 | 松陰神社[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 早稲田大学 |
職業 | 詩人、新聞記者、教育者 |
著名な実績 | 日本女子高等学院創立 |
代表作 | 詩集「夜の舞踏」「恋ごころ」 |
人物
編集東京に生まれ、岡山県で育つ[2]。早稲田大学高等師範部英語科を卒業後、讀賣新聞社に記者として勤務する。早大在学時より詩作に励み、1907年(明治40年)5月に相馬御風・三木露風・加藤介春・野口雨情らと早稲田詩社を起こす[3]。1909年(明治42年)に加藤介春、三富朽葉、福田夕咲らとともに自由詩社を結成、口語自由詩運動の基礎を作り、新体詩の普及に努めた。また、1920年(大正9年)に日本女子高等学院(後の昭和女子大学)を創立し、教育者としての功績も残している[2]。
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 早稲田と文学(人見東明) - ウェイバックマシン(2008年2月13日アーカイブ分) - 早稲田大学