京都寺社等同時放火事件

京都寺社等同時放火事件(きょうとじしゃとうどうじほうかじけん)は、1993年(平成5年)4月24日から4月25日京都府京都市内で発生した放火ゲリラ事件。

日本の新左翼中核派幹部が本事件の犯人として逮捕・起訴されたが、一・二審で無罪判決を言い渡された結果、無罪が確定した[1][2]

事件の発端

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1993年4月に明仁天皇の沖縄行幸が、また6月には皇太子御成婚式典が予定されていた[3][4]。新左翼各派は日本各地で皇室を標的としたテロ事件、反皇室闘争を続発させていた[5][6]

事件の概要

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1993年4月24日午後10時頃、霞会館京都支所と太秦警察署梅津警察官派出所で、時限式発火装置が発火、爆発とともに霞会館の窓ガラスや派出所の裏口のアルミ製ドアが破損する被害が出た[7][8]

事件当時、霞会館には宿泊客や管理人がいたが無事だった[8]。派出所では警察官2人が勤務していたが、爆発現場の反対側で受付をしていたため、怪我はなかった[8]

そして翌日4月25日午前3時35分には、京都市内の青蓮院仁和寺三千院田中神社が相次いで放火された[9][10]。このテロにより、青蓮院の茶室「好文亭」と田中神社拝殿が全焼し、仁和寺[注 1]と三千院[注 2]の建築物の一部が焼失した[9]

京都府警察現場検証で各寺社から乾電池リード線時限式発火装置の残骸が発見された[10]。後の捜査で消火器爆弾より威力の弱い合成樹脂爆弾が使用されていることが判明した[11]

今回被害にあった霞会館は、「皇室の藩屏」とされた旧華族の親睦会の会館で、また青蓮院、仁和寺、三千院は門跡寺院として有名であるなどいずれも皇室に縁のある施設であった[9]

1993年4月30日、中核派は「革命軍軍報」を各マスコミに郵送した[12]。そこには「(この事件は)日帝権力を震撼させ、訪沖中の天皇の度肝を抜いた」とし、天皇にまつわる諸施設は徹底的に破壊されて当然と主張した。

事件後

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1993年5月11日、西本願寺僧侶ら150人を集めて中核派ゲリラの研修会が開かれた[13]。研修会では中核派の爆弾ゲリラの手口をビデオで鑑賞した後、七条警察署(現・下京警察署)の幹部が不審物の点検を入念に行うよう要請した[13]

1993年5月21日、京都府教育委員会は仁和寺で文化財保護指導委員ら200人を集めて連絡協議会を開き、防災設備の見直しなどを呼びかけた[14]。協議会では中核派の爆弾ゲリラの手口をビデオで紹介した後、仁和寺の自衛消防体制について説明した[注 3][14]

捜査

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1993年12月2日、京都府警察警備部は中核派幹部[注 4](当時50歳)を本事件に対する非現住建造物等放火建造物侵入容疑で逮捕した[15][16][17]。1991年9月19日に滋賀県甲賀郡石部町(現・湖南市)にある中核派アジトを摘発した際に押収したゲリラ計画資料[注 5]や青蓮院で発見された遺留物から、京都府警察は中核派幹部の犯行と断定した[17][18]

1993年12月24日、京都地検は中核派幹部を本事件に対する非現住建造物等放火、建造物侵入罪で起訴した[19]

刑事裁判

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1994年3月14日、京都地裁(森下康弘裁判長)で初公判が開かれ、中核派幹部は「臭気による個人識別は不可能で、犬には反対尋問もできない。証拠のデッチ上げだ」と主張した[注 6][20]。また、弁護側は「犯行日時が特定されていない」として公訴棄却を求めた[注 7][20]

1998年2月16日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「中核派の組織的犯行。指導的立場にあり、実行行為者でもある被告人の責任は重い」として懲役5年を求刑した[21]

1998年3月16日、最終弁論が開かれ、弁護側は「検察側が有力な証拠とする警察犬の臭気選別には科学的根拠がない」として改めて無罪を主張し、結審した[22]

1998年10月22日、京都地裁(正木勝彦裁判長)で判決公判が開かれ、警察犬の臭気選別について「本来、補強的に用いるもの。本件では(臭気選別の)方法が不適切で被告人を犯人とする証明が不十分」として無罪判決を言い渡した[23]。京都地検は判決を不服として控訴した[24]

2001年9月28日、大阪高裁(豊田健裁判長)は「本件の臭気選別の結果では犯人性の根拠とはできない」として一審・京都地裁の無罪判決を支持、検察側の控訴を棄却した[25]。控訴審では、検察側とは別の警察犬を使って臭気選別をした結果、15回中1回も正解がなく、「(犬が)何か別の選別根拠で選別しているのではないかという疑問を禁じ得ない」として検察側の主張を全面的に退けた[25]

脚注

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注釈

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  1. ^ 仁和寺霊明殿の棚の一部と国宝・金堂、御影堂の床の一部を焼損[9]。また、仁和寺霊明殿には国宝・木造薬師如来座像が安置されており、危うく焼失するところだった[9]
  2. ^ 壁の一部などを焼損[9]。宿直の修行僧らが放火に気付いて消火した[9]
  3. ^ 金堂、御影堂など境内に多数の寺院がありながら、床の一部を焼損する被害にとどめていたため、協議会で取り上げられた[14]
  4. ^ 逮捕当時、別件の放火ゲリラ事件で大阪高裁係属中[15]
  5. ^ 神社仏閣、国会議員宅などを襲撃するテロ・ゲリラ作戦計画表[18]。一連の資料は中核派非公然組織の関西革命軍が作成[18]
  6. ^ 検察側は時限式発火装置の匂いと中核派幹部の靴の匂いが警察犬の臭気選別で一致したことから犯人性があるとしている[20]
  7. ^ 同日の公判で中核派幹部の支援者が審理中に大声を出すなどしたため、裁判長は3人に退廷を命じた[20]

出典

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  1. ^ 日本経済新聞』1998年10月23日 朝刊 39頁「「証明不十分」で中核派幹部無罪、京都寺社放火で判決」(日本経済新聞東京本社
  2. ^ 『日本経済新聞』2001年9月29日 大阪朝刊 社会面16頁「京都の寺社放火、中核派幹部に2審も無罪判決」(日本経済新聞大阪本社
  3. ^ 毎日新聞』1993年4月23日 東京夕刊 1面1頁「両陛下が沖縄訪問、午後ひめゆりの塔拝礼--天皇としては初めて」(毎日新聞東京本社
  4. ^ 『毎日新聞』1993年6月9日 東京夕刊 特集面2頁「お二人のあゆみ--皇太子ご結婚」(毎日新聞東京本社)
  5. ^ 読売新聞』1993年4月5日 全国版 東京夕刊 夕社会19頁「東京・横浜でゲリラ 天皇陛下の沖縄訪問に反対?」(読売新聞東京本社
  6. ^ 『毎日新聞』1993年4月23日 東京夕刊 社会面15頁「京浜急行・羽田駅でゲリラ、電車の座席焼く--両陛下の沖縄訪問反対の過激派?」(毎日新聞東京本社)
  7. ^ 『読売新聞』1993年4月25日 全国版 東京朝刊 2社26頁「ゲリラか爆発2件 京都、派出所など」(読売新聞東京本社)
  8. ^ a b c 『毎日新聞』1993年4月25日 東京朝刊 社会面23頁「京都で連続爆破ゲリラ 旧華族宿泊施設、派出所に--天皇訪沖反対で?」(毎日新聞大阪本社
  9. ^ a b c d e f g 『読売新聞』1993年4月26日 全国版 東京朝刊 2社26頁「皇室ゆかりの京都の神社、放火ゲリラ4か所 国宝如来像あわや焼失」(読売新聞東京本社)
  10. ^ a b 『毎日新聞』1993年4月26日 東京朝刊 社会面23頁「京都で寺社放火ゲリラ 国宝、重文の一部焼損--天皇沖縄訪問反対?」(毎日新聞東京本社)
  11. ^ 『読売新聞』1993年4月26日 全国版 大阪夕刊 夕社会15頁「霞会館支所・派出所事件 合成樹脂爆弾使う セクト特定急ぐ/京都府警」(読売新聞大阪本社
  12. ^ 『毎日新聞』1993年4月30日 東京夕刊 社会面15頁「中核派が京都、山梨の放火事件で犯行声明」(毎日新聞東京本社)
  13. ^ a b 朝日新聞』1993年5月12日 朝刊 京都0頁「お坊さんもゲリラ対策 西本願寺で研修会 /京都」(朝日新聞大阪本社
  14. ^ a b c 『朝日新聞』1993年5月22日 朝刊 京都0頁「ゲリラから文化財守れ 指導委員ら集め府教委が協議会 /京都」(朝日新聞大阪本社)
  15. ^ a b 『朝日新聞』1993年12月3日 朝刊 1社会31頁「中核派幹部を逮捕 京都の寺放火容疑【大阪】=続報注意」(朝日新聞大阪本社)
  16. ^ 『読売新聞』1993年12月3日 全国版 大阪朝刊 社会31頁「京都のゲリラ事件で中核派幹部を逮捕」(読売新聞大阪本社)
  17. ^ a b 『日本経済新聞』1993年12月3日 朝刊 39頁「中核派幹部、文化財ゲリラ逮捕-三千院など放火で」(日本経済新聞東京本社)
  18. ^ a b c 『読売新聞』1991年9月20日 全国版 東京朝刊 社会31頁「中核派がゲリラ計画 アジトから資料押収/警察庁・滋賀県警」(読売新聞大阪本社)
  19. ^ 『朝日新聞』1993年12月25日 朝刊 京都1 0頁「中核派幹部を起訴 寺社ゲリラ事件で京都地検 /京都=続報注意」(朝日新聞大阪本社)
  20. ^ a b c d 『朝日新聞』1994年3月15日 朝刊 京都0頁「被告は公訴棄却を主張、3傍聴人に退廷命令 寺社襲撃初公判 /京都」(朝日新聞大阪本社)
  21. ^ 『朝日新聞』1998年2月17日 朝刊 京都0頁「中核派幹部に懲役5年求刑 寺社など爆破事件で京都地裁 /京都」(朝日新聞大阪本社)
  22. ^ 『朝日新聞』1998年3月17日 朝刊 京都0頁「最終弁論で無罪を主張 寺社など連続爆破放火事件 京都地裁 /京都」(朝日新聞大阪本社)
  23. ^ 『読売新聞』1998年10月23日 全国版 東京朝刊 2社38頁「警察犬の臭覚は「補強証拠」中核派幹部に無罪判決/京都地裁」(読売新聞東京本社)
  24. ^ 『読売新聞』1998年11月5日 全国版 大阪朝刊 2社34頁「中核派の寺院放火事件無罪判決 京都地検が控訴」(読売新聞大阪本社)
  25. ^ a b 『読売新聞』2001年9月29日 全国版 大阪朝刊 2社30頁「警察犬の鼻信用できず 中核派幹部の放火公判 二審も無罪/大阪高裁判決」(読売新聞大阪本社)

参考文献

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  • 『過激派事件簿40年史』立花書房、2001年