京都大学医療技術短期大学部
廃止された大学
京都大学医療技術短期大学部(きょうとだいがくいりょうぎじゅつたんきだいがくぶ、英語: College of Medical Technology, Kyoto University)は、京都府京都市左京区聖護院川原町53に本部を置いていた日本の国立大学である。1975年に設置され、2007年に廃止された。大学の略称は京大医短または医短[注 1]。学生募集は2003年度まで[注 2]。2007年3月31日廃止[1]。現在は京都大学医学部保健学科となった後、京都大学医学部人間健康科学科に改称している。
京都大学医療技術短期大学部 | |
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大学設置 | 1975年 |
創立 | 1899年 |
廃止 | 2007年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人京都大学 |
本部所在地 | 京都府京都市左京区聖護院川原町53 |
学部 |
看護学科 衛生技術学科 理学療法学科 作業療法学科 |
研究科 | 助産学特別専攻 |
概要
編集大学全体
編集建学の精神(校訓・理念・学是)
編集- 京都大学の欄を参照
教育および研究
編集- 京都大学医療技術短期大学部は医学部の連携の下で教育が行われていた。
学風および特色
編集- 京都大学医療技術短期大学部は医学部附属看護学校および同附属助産婦学校・同附属臨床検査技師学校を発展する形で設置された。
沿革
編集- 1899年 京都帝国大学医科大学附属医院看護婦見習講習科を置く。
- 1902年 産婆講習科を置く。
- 1911年 産婆講習科が産婆養成所となる。
- 1916年 京都帝国大学医科大学附属医院看護婦講習科に改称。
- 1922年 京都帝国大学医学部附属医院看護婦産婆養成所に改組。看護婦科と産婆科を置く。
- 1945年 京都帝国大学医学部附属医院厚生女子部に改組。
- 1947年 京都大学医学部附属医院厚生女子部に改称。
- 1948年 専攻科を置く。
- 1951年3月 専攻科を京都大学看護学校に改称。
- 同年4月 京都大学看護学校を京都大学医学部附属看護学校に改称。
- 1952年 助産婦科を設置。
- 1954年 助産婦科が京都大学医学部附属助産婦学校として独立する。
- 1959年 京都大学医学部附属衛生検査技師学校が設置される。
- 1972年 同附属臨床検査技師学校に改組。
- 1975年 京都大学医学部附属看護学校および京都大学医学部附属助産婦学校の改組発展して京都大学医療技術短期大学部看護学科(在学者数:男子7、女子54[2][3])と専攻科助産学特別専攻を置く。
- 1976年 京都大学医学部附属臨床検査技師学校を発展改組して衛生技術学科(在学者数:男12、女28[2][4])を増設する。
- 1977年 看護学科と専攻科の校舎が移転される。
- 1978年 衛生技術学科の校舎が移転される。
- 1982年 学科を増設。
- 2003年 最後の学生募集となる[6]。
- 2006年 専攻科最後の学生募集となる[7]。
- 2007年3月31日廃止[1]。
基礎データ
編集所在地
編集- 京都府京都市左京区聖護院川原町53
象徴
編集教育および研究
編集組織
編集学科
編集- 看護学科
- 衛生技術学科
- 理学療法学科
- 作業療法学科
専攻科
編集- 助産学特別専攻
別科
編集- なし
取得資格について
編集受験資格
大学関係者と組織
編集大学関係者組織
編集- 同窓会組織として紫緑会がある[9]。
大学関係者一覧
編集大学関係者
編集歴代学長
施設
編集キャンパス
編集寮
編集対外関係
編集系列校
編集卒業後の進路について
編集就職について
編集- 全学科、専門職を活かした職についた人が大半だったとみられる。京都大学医学部附属病院をはじめ大手の医療機関に就職しているものとみられる。