京終駅
京終駅(きょうばてえき)は、奈良県奈良市南京終町(みなみきょうばてちょう)[4]にある[5][6]、西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)の駅である[3]。難読駅名としても知られている[5][7][8][9]。
京終駅 | |
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駅舎(2019年4月) | |
きょうばて Kyōbate | |
◄奈良 (1.9 km) (2.9 km) 帯解► | |
所在地 | 奈良県奈良市南京終町211 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■桜井線(万葉まほろば線) |
キロ程 | 1.9 km(奈良起点) |
電報略号 | ハテ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
626人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 1898年(明治31年)5月11日[2] |
備考 |
無人駅[3] (コミュニティ駅長[注釈 1]配置) |
歴史
編集京終駅が存在する区間の桜井線は、初瀬鉄道が免許を受けて建設した。1894年(明治27年)7月に奈良 - 桜井間が本免許され、1897年(明治30年)8月に着工した[10]。しかし、同一地方に小鉄道が独立して存在するのは公共の利益に合致しないとして、京都 - 奈良間を建設した奈良鉄道と合併するべきとの議論が起こり、1897年(明治30年)4月25日に初瀬鉄道と奈良鉄道の合併契約が結ばれ、8月6日に認可を得て、10月1日に建設工事が奈良鉄道に継承された。1898年(明治31年)5月11日に京終 - 桜井間が開通した[11]。京終駅はこの際に開設され、建設に当たっては奈良町在住の乾徳三郎から7反歩の土地の提供を受けた[10]。
その後、奈良駅と連絡する工事が進められた。1899年(明治32年)1月20日に奈良駅における連絡に関して大阪鉄道・関西鉄道と契約が成立し、2月11日(奈良市史では3月11日とする)から貨物の連絡輸送が奈良 - 京終間で開始された。10月14日に旅客輸送も開始して、正式に開通した[10][11]。
1919年(大正8年)には荷物専用のリフトである奈良安全索道が、京終駅から奈良市小倉町までを結び[注釈 2]、名産の天然凍豆腐(高野豆腐)や野菜・木炭・木材などを運搬していた[注釈 3]。1951年(昭和26年)に奈良安全索道は廃止された[5][12]。
近年では奈良市が奈良町の南の玄関口として新たな観光拠点として、当駅を改修するなど周辺整備を実施した[3][4][5][6][13]。
復元工事
編集1898年(明治31年)開業以来の木造平屋建の駅舎が残されてきたが[13]、2017年(平成29年)にJR西日本から奈良市に無償譲渡され[14]、奈良市によって駅舎の復元工事が進められた[4][5][13]。2018年(平成30年)3月9日に第1期工事が完成し、待合室が供用開始された[12]。2019年(平成31年)1月、復元工事が完了し観光案内所も併設された[15]。駅舎および周辺の整備工事は同年2月に完了している[4]。
年表
編集- 1898年(明治31年)5月11日:奈良鉄道が、大阪鉄道と接続する現在の桜井線桜井駅以北を建設した際、終着駅として開業[2]。
- 1899年(明治32年)10月14日:奈良鉄道が当駅から奈良駅まで延伸、途中駅となる[2]。
- 1905年(明治38年)2月7日:関西鉄道が奈良鉄道を合併。同社の駅となる[2]。
- 1907年(明治40年)10月1日:国有化され、帝国鉄道庁の駅となる[2]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。桜井線の所属となる[2]。
- 1918年(大正7年):奈良安全索道ができる[12]。
- 1951年(昭和26年):奈良安全索道が廃止され[5][12]、トラック輸送に替わる。
- 1977年(昭和52年)3月1日:貨物の取り扱いを廃止[16]。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[2][16]。
- 2005年(平成17年)3月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[18]。ICカード専用簡易改札機で対応。
- 2010年(平成22年)3月13日:路線愛称の制定により、「万葉まほろば線」の愛称を使用開始。
- 2017年(平成29年):明治31年築の駅舎が、JR西日本から奈良市に無償譲渡、奈良市はリニューアル工事に着手[5][6][14]。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年・令和元年)
駅構造
編集相対式ホーム2面2線を持ち[1]、交換設備を有する地上駅。駅本屋側が下り(天理・桜井方面)ホームであり、地下道を通って反対側が上り(奈良方面)ホームである。数本の保守作業用の側線がある。駅舎隣に位置する下りホームの側線部では、時期によってJR西日本大阪事業所による花の苗の販売が行われている。
王寺鉄道部管理の無人駅であるが、ICOCA利用可能駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)である。近距離用の自動券売機のほか、ICOCAなどのICカード読取機(入場用・出場用)が設置されているが、普通乗車券用の自動改札機は設置されていない。
京終駅が開業した1898年(明治31年)建設の木造平屋建て駅舎が残されており、2018年(平成30年)には復元工事が完成した[5][6]。駅舎面積は145.28平方メートルである[12]。
のりば
編集ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
駅舎側 | 万葉まほろば線 | 下り | 桜井・高田方面[22] |
反対側 | 上り | 奈良方面[22] |
- 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
- 案内上ののりば番号は割り当てられていない。
-
ホーム(2012年11月)
-
明治31年4月と表示された建物財産票。駅舎側ホーム屋根柱。
利用状況
編集「統計なら」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通りである[23]。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
2000年 | 536 |
2001年 | 530 |
2002年 | 500 |
2003年 | 497 |
2004年 | 477 |
2006年 | 494 |
2007年 | 503 |
2008年 | 521 |
2009年 | 517 |
2010年 | 576 |
2011年 | 587 |
2012年 | 594 |
2013年 | 603 |
2014年 | 637 |
2015年 | 702 |
2016年 | 702 |
2017年 | 701 |
2018年 | 723 |
2019年 | 740 |
2020年 | 626 |
駅周辺
編集奈良市中心部の南の端に位置し、現在も「京終」の名の通り市街地の周縁部となっている。旧天理街道に面する。付近は住宅地だが、かつては物流の拠点だったこともあり、いくつかの企業の本社や工場がある。また、奈良運輸支局が2004年10月8日までこの地に存在したため、近辺には自動車ディーラー各社の店舗が現在も集積している。
- イオンタウン大安寺(ザ・ビッグエクストラ大安寺店)
- ラ・ムー 京終店
- 呉竹本社
- ならまち
- 元興寺文化財研究所(かつてのテイチク本社。その後、1989年4月から2011年5月までパナソニックAVCディスクサービス本社工場[要出典])
- 奈良市立看護専門学校
- 奈良女子大学附属中等教育学校
- 奈良教育大学
- 奈良県立高円芸術高等学校
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『週刊 JR全駅・全車両基地』 16号 奈良駅・新今宮駅・王寺駅ほか70駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年11月25日、26頁。
- ^ a b c d e f g 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 42号 阪和線・和歌山線・桜井線・湖西線・関西空港線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年5月16日、23頁。
- ^ a b c “古い駅舎、地域に貢献 カフェや観光案内所に”. 日本経済新聞. (2018年8月1日) 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b c d e f “「南京終町」って何て読む?加藤雅也が知名度向上誓う…築120年駅舎が新たな門出”. デイリースポーツ. (2019年2月26日) 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “難読駅「きょうばて」、駅舎が明治時代の姿に JR京終駅、奈良市が復元 地域活性化の拠点に”. 産経ニュース. (2018年3月20日) 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b c d e “奈良)進む駅舎の復元工事 京終駅を奈良町の玄関口に”. 朝日新聞デジタル. (2018年5月31日). オリジナルの2018年6月1日時点におけるアーカイブ。 2021年12月26日閲覧。
- ^ “今が旬!万葉まほろば線は難読駅だらけ(後編)”. 日刊スポーツ (2019年4月18日). 2020年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月26日閲覧。
- ^ “京終・帯解・櫟本…読めない駅名ばかり!JR万葉まほろば線 〜鉄アナ・羽川英樹「行ってきました!」vol.13”. ラジトピ ラジオ関西トピックス (2021年1月7日). 2021年12月26日閲覧。
- ^ “『ネプリーグ』で放送の<豆知識>難読駅名「追浜」「京終」「学文路」の読み方は?”. フジテレビュー!! (2021年3月9日). 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b c 『奈良市史 通史編4』p.146
- ^ a b 『日本鉄道史 中編』p.477
- ^ a b c d e f 『京終駅復元工事完了に伴う京終駅舎待合室の供用開始について』(PDF)(プレスリリース)奈良市にぎわい課、2018年2月26日 。2021年12月26日閲覧。
- ^ a b c d 西崎さいき『新駅舎・旧駅舎』イカロス出版、2019年6月30日、55頁。ISBN 978-4-8022-0725-6。
- ^ a b 奈良新聞2018年3月4日1面
- ^ a b 『JR京終駅復元完了!観光案内所もオープンJR西日本初のコミュニティ駅長に地域の方を、観光特別大使に加藤雅也さんを委嘱』(PDF)(プレスリリース)奈良市観光経済部奈良町にぎわい課、2019年1月30日 。2021年12月26日閲覧。
- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、352頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ “「通報」●奈良線上狛駅ほか17駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 4. (1984年10月19日)
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '05年版』ジェー・アール・アール、2005年7月1日、188頁。ISBN 4-88283-126-0。
- ^ “桜井線京終駅の復元が完了”. 鉄道ファン (2019年1月30日). 2019年7月29日閲覧。
- ^ “奈良町の南の玄関口「京終駅」 明治の姿によみがえり集える駅に”. 奈良経済新聞 (2019年3月1日). 2019年7月29日閲覧。
- ^ “奈良市・JR京終駅の待合室にピアノ”. 産経ニュース. (2019年6月17日) 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b “京終駅|時刻表:JRおでかけネット”. JRおでかけネット. 西日本旅客鉄道. 2022年9月27日閲覧。
- ^ 奈良市統計書「統計なら」 - 奈良市総務課
参考文献
編集- 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 通史四 奈良市民頒布版』奈良市、1995年3月20日。
- 鉄道大臣官房文書課 編『日本鉄道史 中編』鉄道省、1921年。
関連項目
編集外部リンク
編集- 京終駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
- 動画で見るニッポンみちしる 京終駅 - NHKアーカイブス(駅舎改修前の映像)