京極高聡
丹後国峰山藩の世嗣
京極 高聡(きょうごく たかとし)は、江戸時代後期の丹後国峰山藩の世嗣。官位は従五位下・備後守。
京極高聡像(常立寺蔵) | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 寛政11年(1799年) |
死没 | 文政13年3月15日(1830年4月7日) |
官位 | 従五位下備後守 |
藩 | 丹後国峰山藩世嗣 |
氏族 | 京極氏 |
父母 | 京極高備 |
兄弟 | 高寧、高聡、高倍、高鎮、悦子ら |
妻 |
毛利広鎮娘 稲垣長続娘 森忠賛娘 |
略歴
編集7代藩主・京極高備の次男として誕生。正室は毛利広鎮の娘、継室は稲垣長続の娘、森忠賛の娘。
兄・高寧が早世したため嫡子となる。しかし、家督を継ぐことなく文政13年(1830年)に32歳で没した。
子がなかったため、弟・高倍が代わって嫡子となった。