井川 鳴門(いかわ めいもん、1751年(宝暦元年) - 1806年2月13日(文化2年12月25日))は、江戸時代の画家。書家。阿波国出身。本姓は橘。名は貢。字は君錫。通称は源兵衛。別号に雪下園、淑慎斎。
名東郡沖浜浦(現在の徳島市沖浜町)の藩士である島田家の出で、井川家の養子となる[1]。京都に出て水墨画と書を学び、名古屋に移住し、晩年は江戸で画業を営んだ。作品に「雪下園画梅譜」などがある[2]。
1806年2月13日(文化2年12月25日)、死去。享年55。墓所は徳島県徳島市城南町の実相寺[3]。
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