井寺古墳
井寺古墳(いでらこふん[1]/いてらこふん[2])は、熊本県上益城郡嘉島町井寺(いてら)にある古墳。形状は円墳。国の史跡に指定されている。
井寺古墳 | |
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所在地 | 熊本県上益城郡嘉島町大字井手 |
位置 | 北緯32度45分11.17秒 東経130度46分40.37秒 / 北緯32.7531028度 東経130.7778806度座標: 北緯32度45分11.17秒 東経130度46分40.37秒 / 北緯32.7531028度 東経130.7778806度 |
形状 | 円墳 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土品 | 鉄刀4 |
築造時期 | 5世紀後半-6世紀初頭 |
史跡 | 国の史跡「井寺古墳」 |
特記事項 | 装飾古墳 |
地図 |
概要
編集熊本県中部、熊本市街地から南東方の丘陵上に築造された古墳である[2]。古墳北側には、湧水で知られる浮島熊野坐神社(浮島神社)が所在する[3]。安政4年(1857年)に土取りにより墳丘封土が崩れて石室が発見され[4][2][3]、1982年(昭和57年)・2017-2019年度(平成29-令和元年度)に発掘調査が実施されている。
墳丘は大きく削平されているため詳らかでないが、墳形は円形と推定される(近年の調査以前は前方後円墳説もあった)。墳丘外表に葺石はないと見られる(近年の調査以前は葺石が存在するとする説もあった)。埋葬施設は単室の横穴式石室で、南南西方向に開口する[2]。石室内には「直弧文」と呼ばれる装飾文様が施されている[2]。築造時期は古墳時代中期-後期の5世紀後半から6世紀初頭頃と推定される[3]。
石室を含む一部の墳丘は、1921年(大正10年)に国の史跡に指定されている[1]。2016年(平成28年)には、熊本地震により釜尾古墳(熊本市釜尾町)等とともに墳丘に亀裂が走る等の被害が生じている[5]。
遺跡歴
編集埋葬施設
編集埋葬施設としては、阿蘇溶結凝灰岩製の横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する[9]。石室の規模は次の通り[9]。
- 玄室:長さ2.94メートル、幅2.47メートル、高さ3.08メートル
- 羨道:長さ1.08メートル、幅0.56メートル
石室内には、羨門・羨道・石障に装飾文様が施されているが、特に幾何学的な直線・弧線から成る「直弧文」と呼ばれる文様である[3]。この直弧文は、赤・白・青・緑の4色で塗り分けられている[3]。また、装飾には前述の直弧文のほか、「円文」・「梯子形文」・「鍵手文」が施されており、それぞれが場所により選択的に組み合わされる。
現在は玄室内が荒らされた結果、区画のない空間であるが、有馬家文書には中央に通路、通路を挟んで左右と奥に区画がある「コの字形屍床」があったことが記載されている[4]。奥壁付近の1区には鏡・直刀、左右2区には人骨があったという[2]。しかし明治30年代に盗掘に遭った際に多くが失われ、鉄刀(直刀)4本のみが出土品として伝世されている[2][3]。現在、その鉄刀は熊本市立熊本博物館に保管されている[9]。
文化財
編集国の史跡
編集関連施設
編集脚注
編集- ^ a b c d 井寺古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b c d e f g h i j k l 井寺古墳(平凡社) 1985.
- ^ a b c d e f 井寺古墳 Archived 2016年8月8日, at the Wayback Machine.(熊本県ホームページ)。
- ^ a b “井寺古墳の発見経緯記す文書 熊本地震で被災 寸法列記「復旧の一助に」”. 西日本新聞ニュース. 2019年7月11日閲覧。
- ^ a b "熊本県内 国指定の文化財19件に被害" Archived 2016年4月16日, at the Wayback Machine.(NHKニュース、2016年4月15日記事)。
- ^ "文化審答申 「阿蘇」国の重要文化的景観への指定 「将来に残す仕組みを」 熊本"(毎日新聞、2017年6月17日記事)。
- ^ a b 史跡等の指定等について(文化庁報道発表、2017年6月16日)。
- ^ a b 平成29年10月13日文部科学省告示第143号。
- ^ a b c d 井寺古墳(国指定史跡).
参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『史跡井寺古墳(嘉島町文化財調査報告)』嘉島町教育委員会、1982年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『井寺古墳(嘉島町史跡整備関連報告書 第1集)』嘉島町教育委員会・嘉島町文化財センター、2021年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。