「井上昌己 (競輪選手)」とは別人です。 |
井上 正棠(いのうえ まさき、宝暦3年(1753年) - 文化11年8月8日(1814年9月21日)[1])は、江戸時代後期の大名。常陸下妻藩の第5代藩主。遠江浜松藩主・井上正経(浜松藩井上家)の四男で、下妻藩主井上正意の養子となる。子は正広(長男)、正建(次男)。官位は従五位下、遠江守、石見守。
幼名は橘之助。天明4年(1784年)、先代の正意の死去により、養子の正棠が跡を継ぐ。寛政元年(1789年)3月14日、家督を長男の正広に譲って隠居し、文化11年(1814年)8月8日に62歳で死去した。墓所は東京都台東区の谷中霊園。
父母
子女