五馬図巻(ごばずかん)は、北宋文人李公麟による絵画で、北宋の皇帝へ献上された5頭の馬が描かれた連作である。黄山谷曾紆曾布の子)による跋文が付されており、その記述から1090年頃の作品だと考えられる[1]東京国立博物館所蔵。

『五馬図巻』
鳳頭驄(コロタイプ複製)
作者李公麟
製作年1090年ごろ
種類・淡彩、澄心堂紙
寸法27.8 cm × 256.5 cm (10.9 in × 101.0 in)
所蔵東京国立博物館東京
登録TA-694

画題

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黄山谷による題記によれば、元祐元年(1086年)から元祐3年(1088年)にかけて西域から献上された馬で、うち4頭には鳳頭驄・錦膊驄・好頭赤・照夜白と馬名が記されている[1]。馬はそれぞれ一人の男に引かれている。

乾隆帝は最後の一頭の満川花が後世の補筆であると指摘しているが[2]鈴木敬によれば、それ以外は李公麟の真筆だとする[1]

伝承

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曾紆の跋には、李公麟が描いた馬は魂が抜き取られ死んでしまったという逸話が記されている[1]

来歴

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曾紆による跋文から蘇軾や黄山谷を中心とする北宋の士大夫コミュニティーの中で所有されていたことが知られる。その後の史料中に、元代の書画収集家である王子慶の手にあったこと、明代の書画収集家である項元汴が模本を作成したこと、清代には毗陵荘氏の所蔵であったことなどが記されている[1]

清の乾隆帝が所有しており、乾隆27年(1762年)愛烏罕(アフガニスタン)から馬が献上され、ジュゼッペ・カスティリオーネに「愛烏罕四駿図巻」を作らせたものの気に入らず、宮廷画家の金廷標に五馬図巻の画法で書き直させたという逸話がある[1]

1921年(中華民国10年、宣統13年、大正10年)、宣統帝の教育係であった陳宝琛が借り出して芥川龍之介ほか日本人に鑑賞させている。翌年溥傑に下賜された記録があり、その後、おそらく陳宝琛の甥である劉驤業により日本にもたらされた[1]。1928年(昭和3年)に昭和天皇御即位大礼を記念する唐宋元明名画展覧会で秘密裏に展示され[3]、1930年(昭和5年)に実業家の末延道成の所蔵となり[2]、その没後1933年(昭和8年)10月31日に重要美術品に認定された[4]

その後、京都大学法学部の某教授の手に移り、戦時中に焼失したと報告されていたという。2017年度に東京国立博物館に寄贈された[5]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 高野 2014.
  2. ^ a b 板倉 2019.
  3. ^ 張 2019.
  4. ^ 「文部省告示第312号」『官報』第2051号、1933年10月31日、NDLJP:2958523/3 
  5. ^ 野嶋 2019.

参考文献

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