五糧液
五糧液、五粮液(ごりょうえき、ピン音:Wǔliángyè[1])は、白酒の銘柄の1つ。白酒という中国酒のジャンルにおいては、「茅台酒」と並ぶメジャーな銘柄である[2][3]。名称は5種類の穀物(高粱、もち米、うるち米、とうもろこし、小麦)を原料とすることにちなむ[2]。1963年に北京で開催された全国評酒会議においては18種類の「国家銘酒」のひとつとして選出された[4]。中華人民共和国四川省宜賓市の企業、五糧液集団有限公司(五粮液集团有限公司)が製造しており、ラインナップにはアルコール度数が68度から39度、29度、25度まで様々ある[5]。日本ではあまり名前が知られていないが、中国においては茅台酒よりも人気があるとされる[1][2]。
五糧液 | |||||||
繁体字 | 五糧液 | ||||||
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簡体字 | 五粮液 | ||||||
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製法は宋代の酒「茘枝緑酒」や唐代の酒「重碧酒」をベースにしているという[2][3]。当初の名前は「宜賓元麯」であり、1915年のサンフランシスコ万国博覧会で金メダルを受賞している[3]。現行の名称への変更年については1916年[2]、1929年[3]と二通りの資料が見られる。
昔ながらの固体発酵法という発酵法を用いて醸される[6]。日本酒のように水を加えてつくるもろみと違い、レンガ状に成型された麹子(麹)を砕いてから高粱粉と水を加えて練ったものを発酵・蒸留する方法である。複数回蒸留と取り出し・再発酵しないといけないなど、効率は良くないものの風味は良くなるという。効率の良い液体発酵でつくる白酒も増えているが、五糧液ではこの固体発酵法による製造を続けている。
人気があり値段は高騰しているというが[1]、巷間言われることとして、流通している五糧液の70%が偽物という説もある[7]。
製造会社
編集現行の製造会社である五糧液集団有限公司が成立したのは1998年である[8]。その前身企業体は1951年[3]または1952年[8]に発足したとされる。五糧液をつくっていた利川永と長発升という2社の酒屋を主体として大麯連合経営社が設立された[3]。1957年に宜賓五粮液酒廠[3]、1964年には五糧液酒廠と改称している[8]。
1980年より品質管理に力を入れはじめ、1983年に品質管理委員会を設立した[9]。1985年から1990年の間に中国商業部の品質管理奨(奨は日本語でいう賞)、四川省の品質管理奨、中国の国家品質管理奨といった賞を受賞した。1994年にはドイツ、スイス、オランダの品質標準認証を受けるとともに、四川省技術監督局より「検査を免除できる製品」として選出された。1995年のランキング「中国で最も価値のあるブランド」においては全体で7位、酒造メーカーとしてはトップとしてランクインした。1980年代より配合から発酵・蒸留などの各工程でコンピューター制御を取り入れており、品質にばらつきのでやすい職人の勘頼みではなく、一定の品質で製造できる標準化を行っている。
工場は3地区あり、それぞれ「基礎区(1951年稼働)」、「躍進区(1967年)」、「騰飛区(1987年)」と名付けられている[3]。
五糧液酒史博物館という、歴史と製造過程が学べる施設もある[10]。
脚注
編集- ^ a b c 杉山明『お食辞海: 読んでおいしい中国料理』牧歌舎、2007年、170-171頁。ISBN 9784434109393 。
- ^ a b c d e 中山時子; 陳舜臣 編『新・中国料理大全 4 四川料理:』小学館〈新中国料理大全〉、1997年、134頁。ISBN 9784096808641 。
- ^ a b c d e f g h 李大勇「中国四川省の酒とその発展について」『日本醸造協会誌』第87巻、公益財団法人 日本醸造協会、124-129頁、1992年 。
- ^ 胡金定「酒の中国文化」『言語と文化』第2巻、甲南大学、61-72頁、1998年 。
- ^ 公式サイトおよび前掲書 (李 1992, p. 126) 。
- ^ 以下、本段落は下記文献による。
- ^ 高坂明『中国「南通」』 59巻、公益社団法人 日本船舶海洋工学会、2003年、33-35頁 。
- ^ a b c “集団簡介”. 五粮液集団有限公司. 2018年11月10日閲覧。
- ^ 以下本段落は下記文献による。
- 王衍宇「中国におけるブランド消費市場の形成と企業ブランド戦略の生成」『桃山学院大学環太平洋圏経営研究』第8巻、桃山学院大学総合研究所、41-89頁、2007年 。
- ^ “自然の景観が美しく銘酒も味わえる、宜賓の知られざる観光名所6選!”. 株式会社アドベンチャー. 2018年11月10日閲覧。