五百井神社

滋賀県栗東市にある神社

五百井神社(いおのいじんじゃ)は、滋賀県栗東市下戸山にある神社式内社で、旧社格村社神紋は「下がり藤」[1]

五百井神社
所在地 滋賀県栗東市下戸山20
位置 北緯35度00分41.4秒 東経136度00分04.5秒 / 北緯35.011500度 東経136.001250度 / 35.011500; 136.001250 (五百井神社)座標: 北緯35度00分41.4秒 東経136度00分04.5秒 / 北緯35.011500度 東経136.001250度 / 35.011500; 136.001250 (五百井神社)
主祭神 木俣神
社格 式内社(小)
村社
創建 不詳
別名 蘆井神社
例祭 5月5日
地図
五百井神社の位置(滋賀県内)
五百井神社
五百井神社
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祭神

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祭神は次の1柱[1]

  • 木俣神 - またの名を「御井神」とする。平安時代の作の神像(滋賀県指定有形文化財)が伝世される。

歴史

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創建

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創建は不詳。境内は安養寺山の南西麓に鎮座し、山頂には奥宮(山王社)および竜王社が鎮座するが、この奥宮は祭神の降臨地ともいわれる[2][1]。また、蘆井造一族による奉斎とする伝えもある[1]

鎌倉時代後期の『夫木抄』では境内前を流れる金勝川について「いほの井川」と見えることから、当社はその用水井を守護する神として祀られたとする説がある[2]

概史

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社伝では、仁寿元年(851年)1月に正六位上の神階に叙せられたという[2](『日本文徳天皇実録』によれば、同年1月27日に正六位上への諸神同時昇叙があった)。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では近江国栗太郡に「蘆井神社」と記載され、式内社に列している[2]。同帳写本では「蘆井」の訓みは「イホノヰノ」と振られる。

前述のように鎌倉時代後期の『夫木抄』では「いほの井川」が見えるほか、中世末頃から社名は「五百井」と表記されるようになったとされる[2]

安政5年(1858年)には本殿の再建がなされたが[2]、この本殿(一間社流造)は後述の台風被害により現在では失われている。

明治維新後、1876年明治9年)に近代社格制度において村社に列した[1]

2013年平成25年)9月には、台風18号の影響で境内後背の斜面で土砂崩れが発生し、本殿・拝殿などの社殿はほぼ全壊の被害を受けた。そのため、神霊は御旅所に移されたうえで祭祀が継続されている(2014年5月現在)。本殿に安置されていた神像は土砂崩れから2週間後に土砂中から掘り出されたが、のちにその造形が評価され、2015年(平成27年)に滋賀県指定有形文化財に指定された[3]

摂末社

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  • 八幡社

文化財

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滋賀県指定文化財

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  • 有形文化財
    • 木造男神坐像 1躯(彫刻) - 平安時代の作。一木造で、像高33.8センチメートル。2015年(平成27年)12月18日指定[4][5]
    • 黒漆金銅装蔓柏文鞍(工芸品) - 鎌倉時代の作。1996年(平成8年)12月6日に「木造蔓柏文鞍」として市指定[6]、2019年(令和元年)12月24日に県指定[7]

脚注

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  1. ^ a b c d e 五百井神社(滋賀県神社庁)。
  2. ^ a b c d e f 五百井神社(平凡社) 1991.
  3. ^ "台風被災の栗東・五百井神社「例大祭」 滋賀"(産経ニュース、2014年5月6日記事)。
    "数奇、被災神像が文化財に -土砂崩れで埋没、再評価-"(京都新聞、2015年12月21日記事)。
    "県指定文化財 新たに9件 高島・邇々杵神社や栗東・木造男神坐像 /滋賀"(毎日新聞、2015年12月22日記事)。
  4. ^ 栗東市内に所在する滋賀県指定文化財(栗東市ホームページ)。
  5. ^ 彫刻の部 (PDF) (滋賀県教育委員会ホームページ)。
  6. ^ 栗東市指定文化財(栗東市ホームページ)。
  7. ^ 令和元年12月24日滋賀県教育委員会告示第8号 (PDF) (滋賀県ホームページ)。

参考文献

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  • 「五百井神社」『日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』平凡社、1991年。ISBN 4582490255 

外部リンク

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