五島市立三井楽小学校

長崎県五島市にある小学校

五島市立三井楽小学校(ごとうしりつ みいらくしょうがっこう)は、長崎県五島市三井楽町濱ノ畔(はまのくり)にある公立小学校。略称は「三小」。

五島市立三井楽小学校
地図北緯32度44分27秒 東経128度40分38秒 / 北緯32.74075度 東経128.67712度 / 32.74075; 128.67712座標: 北緯32度44分27秒 東経128度40分38秒 / 北緯32.74075度 東経128.67712度 / 32.74075; 128.67712
過去の名称 第五大学区第五中学区三井楽小学校
岐宿部 三井楽小学校
公立下等三井楽小学校
公立中等三井楽小学校
尋常三井楽小学校
三井楽尋常小学校
三井楽尋常高等小学校
三井楽国民学校
三井楽町立三井楽小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 五島市
併合学校 五島市立岳小学校
五島市立浜窄小学校
校訓 よく学び よく遊べ
設立年月日 1874年明治7年)7月17日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002222 ウィキデータを編集
所在地 853-0601
長崎県五島市三井楽町濱ノ畔1148番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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歴史
1874年明治7年)創立。2014年平成26年)に創立140周年を迎えた。
校訓
「よく学び よく遊べ」
学校教育目標
「心身共に健やかで、豊かな心を持ち、自ら学ぶを身 に付けた子どもを育成する」
校章
「井」の文字を3つ組み合わせて校名の「三井」を表し、中央に「小」の文字を置いている。
校歌
作詞は中島英治、作曲は伊藤英一による。歌詞は3番まであり、3番に「三井楽」が登場するが、読みは三井楽の語源となった「美弥良久」にちなみ「みらく」となっている。
校区
住所表記で五島市三井楽町の後に「濱ノ畔、大川、高崎、柏、嶽、渕ノ元、塩水、丑ノ浦、波砂間、濱窄、貝津」が続く地区。
中学校区は五島市立三井楽中学校[1]

沿革

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前史
  • 1870年明治3年)2月21日 - 福江藩郷校[2]として三井楽に「第二郷校 温故堂」が設置される。生徒数30名、教官2名。
  • 1871年(明治4年)- 廃藩置県により福江藩は廃止され、その領地は福江県に属することとなる。間もなく福江県は長崎県に統合される。
  • 1872年(明治5年)8月 - 学制が頒布される。
正史
  • 1874年(明治7年)7月17日[3] - 濱ノ畔郷里に「第五大学区 第五中学区[4]三井楽小学校」が開校。
  • 1878年(明治11年)- 郡制の実施により、松浦郡が4分割され、五島列島部分(宇久・小値賀を除く)は南松浦郡に属することとなる。
    • 12月24日 - 学区改正により、「岐宿部 三井楽小学校」に改称[5]
    • この年、初代校長に橋本豊吉が就任。
  • 1880年(明治13年)- 教育令の施行により「公立下等三井楽小学校」に改称。
  • 1882年(明治15年)- 中等科を設置し「公立中等三井楽小学校」に改称。
  • 1885年(明治18年)10月 - 嵯峨島小学校を統合し、嵯峨島分校とする。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令が施行され、「尋常三井楽小学校」となる。修業年限を4年とする。
  • 1899年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、三井楽村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)
    • 7月 - 長崎県第十八高等小学校が廃止され、隣村と組合を結成し高等小学校が設置される。
    • 4月 - 小学校令の改正により「三井楽尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
  • 1897年(明治29年)6月 - 高等小学校の組合を解消し、高等科を併置の上「三井楽尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科3年)。
  • 1901年(明治34年)12月 - 現在地に校舎2棟を新築。
  • 1904年(明治37年)4月 - 高等科4年を新設。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
    • 修業年限が尋常科4年・高等科4年から「尋常科6年・高等科2年」に変更となる。
    • 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科2年に、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
  • 1910年(明治43年)2月 - 校舎1棟を増築。
  • 1914年(大正3年)1月 - 三井楽実業補習学校を併設。
  • 1919年(大正8年)11月 - 新校舎が完成。
  • 1924年(大正13年)
    • 4月 - 高崎で村内小学校連合運動会を開催。
    • 7月 - 校舎を増築。
  • 1926年(大正15年)7月 - 校舎1棟を新築。
  • 1928年(昭和3年)
    • 3月 - 玉之浦への修学旅行を実施。
    • 10月 - 校舎を増築。
  • 1930年(昭和5年)9月 - 運動場を拡張。
  • 1932年(昭和7年) - 校歌(旧校歌)を制定(作詞は豊田亨、作曲は成田為三)。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令により、併設の三井楽実業補習学校が「三井楽青年学校」に改称。
  • 1939年(昭和14年)- 創立65周年を記念して二宮尊徳像が設置される。
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 三井楽町の発足により、三井楽町立の学校となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「三井楽国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1942年(昭和17年)- 青年学校の校舎が新築される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「三井楽町立三井楽小学校」となる。
    • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校三井楽町立三井楽中学校」が発足。当初小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)
    • 10月 - PTAが結成される。
    • この年 - ミルク給食を開始。
  • 1950年(昭和25年)- 放送設備が完成。
  • 1952年(昭和27年)6月 - 運動場に遊具を設置。
  • 1956年(昭和31年)- 新校歌を制定。この年台風12号により3教室が傾倒。
  • 1958年(昭和33年)5月 - 台風で傾倒した3教室が復旧。
  • 1959年(昭和34年)12月 - 相撲場が完成。
  • 1960年(昭和35年)4月 - 児童数が最大の828名を記録する。
  • 1961年(昭和36年)5月 - 特別教室が完成。
  • 1963年(昭和38年)5月 - 新校舎敷地造成が完了。
  • 1964年(昭和39年)5月 - 鉄筋コンクリート造新校舎(6教室)が完成。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 特殊学級を設置。
  • 1966年(昭和41年)
    • 2月 - へき地集会室(体育館)が完成。
    • 12月 - 新校舎第二期工事が完了。
  • 1968年(昭和43年)3月 - 校章と校旗を制定。
  • 1970年(昭和45年)3月 - 運動場を拡張。
  • 1971年(昭和46年)2月 - 情操園が完成。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 牛乳給食を開始。
  • 1974年(昭和49年)5月 - 創立100周年を記念して校庭全体に芝を張る。
  • 1987年(昭和62年)8月 - トイレを水洗化する。
  • 1990年(平成2年)1月 - 新体育館(現体育館)が完成。
  • 1999年(平成11年)10月 - コンピューターを設置。
  • 2002年(平成14年)6月 - 完全給食を実施。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立三井楽小学校」(現校名)へ改称。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 五島市立岳小学校(三井楽町柏531番地、北緯32度46分37.1秒 東経128度40分5.4秒 / 北緯32.776972度 東経128.668167度 / 32.776972; 128.668167 (旧・五島市立立岳小学校))を統合。
  • 2010年(平成22年)7月 - 耐震化工事が完了。
  • 2019年(平成31年)4月1日 - 五島市立浜窄小学校を統合[6]
旧・五島市立岳小学校(岳の読みは「たけ」)
  • 1876年(明治9年)9月29日 - 嶽郷中村に「嶽小学校」が開校。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
    • この時、新設された尋常科5年生の児童を収容できなかったため、尋常科5年生は三井楽尋常高等小学校に通学することとなった。
  • 1909年(明治42年)4月 - 椎河内に新校舎が完成し、三井楽尋常高等小学校に通学していた尋常科6年生を収容できるようになる。
  • 1915年(大正4年)4月 - 保護者会が発足。
  • 1916年(大正5年)5月 - 実業補習学校が併設される。
  • 1923年(大正12年)11月 - 新校舎1棟3教室を増築。
  • 1924年(大正13年)5月 - 校旗を制定。
  • 1927年(昭和2年)3月 - 2教室を増築。
  • 1932年(昭和7年)2月 - 南側3教室を増築。
  • 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が青年学校となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「三井楽町岳国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、「三井楽町立岳小学校」に改称。
  • 1949年(昭和24年)5月 - PTAが発足。
  • 1954年(昭和29年)8月 - 老朽校舎を解体し、5教室を新築。
  • 1956年(昭和31年)9月 - 台風12号により5教室が倒壊。
  • 1958年(昭和33年)4月 - 校舎が復旧。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月 - 西側3教室が完成。
    • 5月 - ミルク給食を開始。
  • 1964年(昭和39年)4月 - 理科室・音楽室を新築。
  • 1967年(昭和42年)2月 - へき地集会所(体育館)が完成。
  • 1968年(昭和43年)8月 - 運動場に遊具を設置。
  • 1976年(昭和51年)4月 - 創立100周年を迎える。
  • 1978年(昭和53年)11月 - 鉄筋コンクリート造校舎が完成。
  • 1979年(昭和54年)5月 - 運動場に芝を植え付ける。
  • 1981年(昭和56年)10月 - 校旗を新調。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - 五島市の発足により「五島市立岳小学校」に改称。
  • 2009年(平成21年)3月31日 - 閉校。133年の歴史に幕を下ろす。
    • 岳小学校の校章 - 八稜鏡を背景にして中央に「岳小」の文字(縦書き)を置いていた。
    • 岳小学校の校歌 - 作詞は中島英治、作曲は伊藤英一による。歌詞は3番まであり、校名は登場しない。

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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参考資料

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  • 「三井楽町郷土誌」(1988年(昭和63年)9月20日, 三井楽町)p. 417 -

脚注

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  1. ^ 就学指定学校、校区外通学 五島市.2022年11月30日閲覧。
  2. ^ 福江藩内に6校の郷校が設置された。第一郷校「禎祥堂」(岐宿)、第二郷校「温古堂」(三井楽)、第三郷校「鏡古堂」(玉之浦)、第四郷校「修齊堂」(有川)、第五郷校「直方齊」(若松)、第六郷校「率由軒」(宇久島)。
  3. ^ 長崎県教育史(上巻)p.559」によると「三井楽小学校」は1874年(明治7年)12月設立認可と記されている。
  4. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区となった。壱岐対馬は第四中学区に属した。
  5. ^ この時、旧第五中学区は笛吹部・有川部・福江部・岐宿部の4部に分けられた。(参考:長崎県教育史(上巻)p.443」)
  6. ^ 五島市立浜窄小学校ウェブサイト - ウェイバックマシン(2019年1月2日アーカイブ分)

関連項目

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外部リンク

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