于
漢姓 (う)
于 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 于 |
簡体字: | 于 |
拼音: | Yú |
注音符号: | ㄩˊ |
ラテン字: | Yu |
広東語発音: | Jyu4 |
上海語発音: | Yu1 |
台湾語白話字: | Î, Û |
中国の姓
編集2020年の中華人民共和国の第7回全国人口調査(国勢調査)に基づく姓氏統計によると中国で42番目に多い姓であり、663.86万人がいる[1][2]。北方系の姓であるため、台湾の2018年の統計では第105位で、12,958人がいる[3]。
中国語普通話で Yú と発音する姓には、ほかに「兪・余・虞・魚」がある。そのため、「干にかぎの于」と呼ぶことが多い[4]。また、簡体字では「おける」の意味を表す介詞の「於」が「于」に統一されたが、姓の「於」(ピンイン:Yū)は「于」と別の姓であり、誤記は注意すべきである[5]。
由来
編集周の武王の子を邘国(現在の河南省沁陽市)に封じたが、のちにその子孫がおおざとを抜いた「于」を氏としたのが由来であるという[6]。
鮮卑の八姓のひとつにも于氏があるが、『魏書』官氏志によると勿忸于氏が単姓化したものであるという。
また、唐代には淳于氏の「淳」字が憲宗の諱の「淳→純」と同音であるため、避諱して「于」一字のみにしたという[7]。
著名な人物
編集朝鮮の姓
編集ウ | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 우 |
漢字: | 于 |
発音: | ウ |
日本語読み: | う |
于(ウ、朝: 우)は、朝鮮人の姓の一つである。2015年の韓国の国勢調査による人口は756人[8]。
著名な人物
編集氏族
編集氏族(地域) | 創始者 | 人数(2015年)[8] |
---|---|---|
慶州于氏 | 11 | |
丹陽于氏 | 11 | |
木川于氏 | 466 | |
釜山于氏 | 11 | |
山東于氏 | 15 | |
安山于氏 | 5 | |
玉川于氏 | 6 | |
龍仁于氏 | 5 | |
仁川于氏 | 18 | |
全州于氏 | 11 | |
忠州于氏 | 5 | |
漢陽于氏 | 31 |
脚注
編集- ^ “中国信息报 2022年11月11日 2版 - “百家姓”规模及其占全国总人数比重” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
- ^ ““百家姓”人口占全国人口比重达84.55%” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
- ^ “全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 280 (2018年10月). 2023年1月19日閲覧。
- ^ 王树人 (2007年4月12日). “毛泽东说名道姓中的智慧与幽默 (3)--期刊选粹--中国共产党新闻-人民网” (中国語). cpc.people.com.cn. 2023年1月17日閲覧。
- ^ “姓氏新闻 - “于”姓跟“於”姓是什么关系?”. jp5000.com. 2024年12月7日閲覧。
- ^ 『元和姓纂』 上平十虞・于 。「周武王第二子邘叔子孫以国為氏、後去「邑」為于。」
- ^ 鄭樵『通志』 巻二十六・氏族略・淳于氏、1161年 。「『風俗通』曰、春秋時小国也。桓五年不復其国。子孫以国為氏。唐元和初、避憲宗嫌名改于氏。」
- ^ a b “KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月24日閲覧。