二階堂 行詮(にかいどう ゆきあきら)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。須賀川二階堂氏3代当主。
二階堂行光の嫡男として誕生。
文明16年(1484年)8月に蘆名盛高が岩瀬郡に攻め寄せた際に長沼で迎え撃った。一度は撃退に成功したが、翌月に再び来襲し、多数の将兵を討ち取られ敗北、長沼地方を蘆名氏に攻め取られている。
没年は明応6年(1497年)とも明応9年(1500年)とも言われている。
行詮の跡は嫡男・行景が継いだが、永正元年(1504年)に没したため行景の弟・晴行が当主となった。