二川町 (愛知県)
日本の愛知県渥美郡にあった町
二川町(ふたがわちょう)は、かつて愛知県渥美郡にあった町。現在の豊橋市の東部である。東は静岡県と接し、南は太平洋(遠州灘)である。
ふたがわちょう 二川町 | |
---|---|
二川の町並み | |
廃止日 | 1955年3月1日 |
廃止理由 |
編入合併 二川町、高豊村、老津村、前芝村、石巻村 → 豊橋市 |
現在の自治体 | 豊橋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 渥美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 42.61 km2. |
総人口 |
14,860人 (1950年10月1日) |
隣接自治体 |
豊橋市、渥美郡高豊村 静岡県浜名郡白須賀町、新所村 |
二川町役場 | |
所在地 | 愛知県渥美郡二川町大字大岩字東郷内4 |
座標 | 北緯34度43分32秒 東経137度26分53秒 / 北緯34.7255度 東経137.44803度座標: 北緯34度43分32秒 東経137度26分53秒 / 北緯34.7255度 東経137.44803度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集- かつては二川郷があり、二川氏の本貫地である。渥美郡のほか、讃岐へ移住した一族(龍満氏)もいる。
- 近世には東海道の宿場町である二川宿があった。
- 1644年(正保元年) - 渥美郡二川村を西に、大岩村を東に移動させ、二川宿と加宿大岩町とする。二川宿に関わっていた二川村と大岩村などは天領であり、周りの村は吉田藩領、寺社領であった。
- 1878年(明治11年)
- 原村、中原村、雲谷村が合併し、谷川村となる。
- 大脇新田と二川村が合併し、二川村となる。
- 上細谷村、下細谷村、小島村、小松原村、寺沢村、西七根村、東七根村が合併し、五並村となる。
- 1884年(明治17年) - 五並村が分割され、上細谷村、下細谷村、小島村、小松原村、寺沢村、七根村[1]となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。渥美郡に以下の3村が成立。
- 大岩村、二川村、谷川村が合併し、大川村となる。
- 上細谷村、下細谷村が合併し、細谷村となる。
- 小島村、小松原村、寺沢村が合併し、小沢村となる。
- 1893年(明治26年)6月23日 - 大川村が町制施行し、大川町となる。
- 1896年(明治29年)7月1日 - 大川町から谷川村が分立する。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 大川町、谷川村、細谷村、小沢村が合併し、二川町が発足する。
- 1937年(昭和12年)7月20日 - 省営バス浜名線二川東町 - 新居町間開通(鉄道省告示 昭和12年 第233号)。
- 1950年(昭和25年)10月16日 - 日本国有鉄道バス浜名線二川 - 上細谷 - 白須賀間開通(日本国有鉄道公示 昭和25年 第249号)。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 渥美郡高豊村・老津村、宝飯郡前芝村、八名郡石巻村とともに豊橋市へ編入される。
教育
編集小学校
編集中学校
編集高等学校
編集- 愛知県立時習館高等学校二川分校 - 愛知県立豊橋南高等学校の前身の一つ。
交通
編集名所・旧跡
編集- 大岩神明宮 - 文武天皇2年(698年)創建。旧郷社。
- 二川八幡神社 - 永仁3年(1295年)創建。二川宿の氏神とされる。
- 二川伏見稲荷 - 1910年(明治43年)創建。
- 松音寺 - 曹洞宗。
- 大岩寺 - 曹洞宗。岩屋観音を有する。
- 普門寺 - 高野山真言宗。木造阿弥陀如来坐像などが重要文化財。「豊橋のもみじ寺」として知られる。
-
二川八幡神社
-
二川伏見稲荷
-
松音寺
-
岩屋観音
-
普門寺