亀井至一
亀井 至一(かめい しいち、天保13年(1842年)‐明治38年(1905年)5月27日)は江戸時代末期から明治時代の石版画家、木版画家。
来歴
編集国沢新九郎及び横山松三郎に師事して石版と油絵を学んでいる。弟に亀井竹二郎がいる。第1回内国勧業博覧会に「上野徳川氏家廟之図」を、第2回内国勧業博覧会にも作品を出品、第3回内国勧業博覧会には「美人弾琴図」を出品している。木版画も作製していたが、後に玄々堂印刷所に入って石版画を学んだ。代表作に「日光名所」、「東海道名所」などが挙げられる他、蜷川式胤の「観古図説」などが知られている。また、矢野竜渓の政治小説『経国美談』(1883年刊行)の挿絵、東海散士の政治小説『佳人之奇遇』(1885年から1897年刊行)の挿絵、砂目石版による美人画に優れている。享年64。墓所は小田原市外の久野霊園。
作品
編集- 「日光八景」 全8枚 木版画 明治13年から明治14年
- 「岸田吟香像(玄々堂人物写生帳より)」 水彩画(スケッチブック) 明治17年 郡山市立美術館所蔵
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新吉原銘妓喜代、1882
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芸者まつこ, 1877
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女学生、東京国立博物館所蔵
参考文献
編集外部リンク
編集- 亀井至一の作品浮世絵検索