九条房実
日本の公卿
九条 房実(くじょう ふさざね)は、鎌倉時代後期の公卿。関白・九条忠教の子。官位は従一位・関白。九条家8代当主。後一音院関白と号す。
時代 | 鎌倉時代後期 |
---|---|
生誕 | 正応3年(1290年) |
死没 | 嘉暦2年3月13日(1327年4月5日) |
別名 | 後一音院関白 |
官位 | 従一位、関白、左大臣 |
主君 | 後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇 |
氏族 | 九条家 |
父母 |
父:九条忠教、母:藤原有時の娘 養父:九条師教 |
兄弟 | 師教、房実、基教、尊覚、教寛、覚恵、禖子 |
妻 | 二条治子(二条兼基の娘) |
子 | 養子:道教、孝覚 |
経歴
編集兄・九条師教の養子となり九条家を継ぐ。正安元年12月(1300年1月)元服し、従五位上・侍従に叙任。翌年には従四位下・右近衛中将に叙任。同年中に正四位下に進む。正安3年(1302年)正月に従三位に叙され公卿に列す。10月には正三位に叙される。
嘉元3年(1305年)備後権守を務め、12月に権中納言、嘉元4年(1306年)従二位に陞叙される。徳治2年(1307年)権大納言、翌年正二位。文保2年12月(1319年1月)右近衛大将。元応元年(1319年)左近衛大将を経て、右大臣に任ぜられる。元亨2年(1322年)皇太子傅となり、同年左大臣。元亨3年(1323年)関白となり、藤原氏長者、従一位となる。翌年関白を辞し、嘉暦2年3月13日に薨去。享年38。
官歴
編集- 正安元年12月19日(1300年1月11日):従五位上、禁色、昇殿、元服 12月30日:侍従[1]
- 正安2年(1301年)正月5日:従四位下 3月6日:右近衛中将 5月24日:正四位下
- 正安3年(1302年)正月5日:従三位(右中将如元) 10月18日:正三位
- 嘉元3年(1305年)正月22日:備後権守 12月30日(1306年1月15日):権中納言
- 嘉元4年(1306年)4月14日:従二位
- 徳治2年(1307年)11月1日:権大納言
- 徳治3年(1308年)9月17日:正二位
- 文保2年12月10日(1319年1月2日):右近衛大将(右大臣今日辞退替)
- 元応元年(1319年)6月14日:左近衛大将 7月28日:右大臣 8月21日:止大将
- 元亨2年(1322年)4月5日:皇太子傅 8月11日:左大臣
- 元亨3年(1323年)3月29日:関白、藤原氏長者 12月15日(1324年1月12日):従一位
系譜
編集脚注
編集