乙号券(おつごうけん)は、日本銀行券紙幣、お札)の種類の一つ。日本銀行兌換券兌換)として発行されたもので、券種は、乙二百円券乙百円券乙二十円券乙十円券乙五円券の5種である。

乙二百円券を除いて、甲号券の後継として発行され、乙二百円券・乙十円券・乙五円券については後継として丙号券が、乙百円券については後継としてい号券が発行されているが、当時の様式符号は、単純に額面金額ごとの発行順(計画されていたが未発行の券種を含む)に符号が付与されていたため、同じ様式符号であっても近い時期の発行とは限らない。乙号券の発行順は、乙五円券、乙十円券、乙二百円券、乙百円券、乙二十円券の順である。

乙号券は全券種発行が停止されており、現在では全券種失効している。

乙号券の一覧

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乙号券の一覧
券種 表面 裏面 発行開始日 失効日 備考
乙二百円券  
彩紋
 
印刷なし
1927年(昭和2年)4月25日[1] 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効[2] 通称は「裏白200円」。
昭和金融恐慌の際に混乱沈静化のため急造され、目的達成により発行開始から2週間程度で発行終了・回収開始された。
現存数は十数枚程度と推定されている。
乙百円券  
聖徳太子法隆寺夢殿
 
法隆寺西院伽藍全景
1930年(昭和5年)1月11日[3] 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効[2] 通称は「1次100円」。
新円切替の際、証紙を貼付して新円の代用とする措置が取られ、これは1946年(昭和21年)10月31日限りで失効。
乙二十円券  
菅原道真
 
北野天満宮拝殿
1931年(昭和6年)7月21日[4] 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効[2] 通称は「縦書き20円」。
乙十円券  
和気清麻呂護王神社
 
彩紋
1915年(大正4年)5月1日[5] 兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで失効[6] 肖像は日本銀行券中唯一左側に描かれているため、通称は「左和気10円」。
乙五円券  
菅原道真
 
北野天満宮
1910年(明治43年)9月1日[7] 兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで失効[6] 表面左側の空白部分には透かしとして大黒天が入っているため、通称は「透かし大黒5円」。

未発行券種

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乙号券の一覧 (未発行)
券種 表面 裏面 発行企画・製造等時期 備考
乙百円券A案
藤原鎌足、談山神社

不明
1923年(大正12年)製造準備 製造準備途中の紙幣は関東大震災の影響で全て焼失。発行された乙百円券はその後で再検討されて作られたB案[8]

出典

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  1. ^ 1927年(昭和2年)4月24日大蔵省告示第66號「日本銀行發行兌換銀行券ノ内貳百圓券發行
  2. ^ a b c 1946年(昭和21年)2月17日勅令第84號「日本銀行券預入令」、ならびに1946年(昭和21年)2月17日大蔵省令第13號「日本銀行券預入令施行規則
  3. ^ 1929年(昭和4年)12月28日大蔵省告示第224號「兌換銀行券中百圓券改造
  4. ^ 1931年(昭和6年)7月15日大蔵省告示第102號「兌換銀行券中改造
  5. ^ 1915年(大正4年)4月24日大蔵省告示第44號「兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内拾圓券改造發行竝ニ其見本略圖
  6. ^ a b 1927年(昭和2年)4月1日法律第46號「兌換銀行券整理法
  7. ^ 1910年(明治43年)8月11日大蔵省告示第107號「兌換銀行券五圓券見本略圖
  8. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、184頁。