久松定益

日本の室町時代~戦国時代の武将。織田禅正忠家(織田信秀)の家臣。斯波家臣久松定光の子

久松 定益(ひさまつ さだます、生年不詳 - 永正7年11月19日1510年12月19日))は、室町時代武将。通称肥前守[1]

子に久松定義がいる。

略歴

編集
 
久松定益の墓(阿久比町洞雲院)

久松定光定氏とも)の子[2]。定益は大野城主の佐治氏と不仲であり、戦が止むことはなかった。緊急の折に山に登って貝を吹けば定益の母方の叔父である苅屋吉重小川定英らが駆けつけこれを助けたという[3]永正7年(1510年)11月19日死去。墓所は阿久比町洞雲院

参考文献

編集
  • 『寛政重修諸家譜第六輯』(国民図書、1923年、934p)

系譜

編集

脚注

編集
  1. ^ 国民図書 1922, p. 934.
  2. ^ 久松氏”. 2022年10月11日閲覧。
  3. ^ 国民図書 1923, p. 934.