久木田叶

日本の政治家 (1968-1963)

久木田 叶(くきた かのう、1868年2月29日慶応4年2月7日[1][注釈 1])- 1963年昭和38年)12月29日[2])は、明治から昭和前期の政治家衆議院議員(1期)、枕崎市名誉市民[3]。旧姓・鮫島。

経歴

編集

薩摩国川辺郡鹿籠郷鹿籠村(南方郷鹿籠村、鹿児島県[2]川辺郡南方郷鹿籠村、西鹿籠村、東南方村、枕崎町を経て現枕崎市西鹿籠[3])で、鮫島強右衛門の三男として生れ[4]、久木田キヨの養子となり1884年(明治17年)家督を相続した[4]造士館を中退し[3]1892年(明治25年)東京法学院[2][4]。農業を営む[2]

川辺郡会議員を務め、1903年(明治36年)鹿児島県会議員に選出され、1919年(大正8年)9月まで在任し、同参事会員も務めた[2][3]枕崎港の築港、枕崎高等女学校(現鹿児島県立枕崎高等学校)の開設などに尽力した[3]

1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙(鹿児島3区、立憲政友会公認)で当選し[5]、衆議院議員を1期務めた[2]。反床次竹二郎の立場となったため[3]1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙では落選した[3][6]

以後、一時、政友会鹿児島支部長を務めたが、政界の第一線からは退き、植林、仏教研究などを行い余生を過ごした[3]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』220頁では「明治元年」と表記。

出典

編集
  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、34頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』220頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『郷土人系 上』113頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第8版』ク7頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』70頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』77頁。

参考文献

編集
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。