久保精唯
大日本帝国陸軍軍人
久保 精唯(くぼ よしただ、1877年(明治10年)11月12日 - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
久保 精唯 | |
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生誕 |
1877年11月12日 日本 愛媛県 |
死没 | 不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1897年 - 1925年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集愛媛県出身[1]。1897年(明治30年)陸軍士官学校第9期卒業[1]。
1918年(大正7年)8月に篠山連隊区司令官、1921年(大正10年)4月に陸軍歩兵大佐、1922年(大正11年)2月に歩兵第54連隊長を経て、1924年(大正13年)12月に陸軍少将・第17師団司令部附に任官[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。