久保田 洋史(くぼた ひろし、1949年[1]2月11日 - )は、元日産自動車の自動車クラブのひとつPMC・Sに所属していたアマチュアドライバー。神奈川県出身。スカイライン2000GT-Rのドライバーとして知られる[1]

GT-R50勝にも大きく貢献、もう少しでワークス入りというところで、家業のためレース活動から引退。

多くの人から「伝説のプライベーター」と呼ばれた。

経歴

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免許取得と同時にスカイラインGT(S54B)でジムカーナに出場するなど、モータースポーツを志す。

久保田のスカイラインは燃料タンクを少量の物に変更したり、走りに不要な装備を取っ払ったり徹底した軽量化が施されていたが、それゆえ街乗りにまったく適していなかった。

その後スカイラインGT-Rでプライベーターとしてレースに参戦。健闘する。しかし苦労話も絶えない。

活躍が日産の目にとまり、レースで車を壊したりすると、日産からボディが届いた。

久保田は「到着した車は前が浮いていて変だった。降ろしてみたらエンジンが載ってない。日産もケチだなと思った」と話している。また、スカイラインGT-Rが2ドアになるとボディが届き、今まで乗っていた4ドアからエンジンその他を移植した。

当時のPMCS担当メカニックの青木輝久(現プラスワンアオキ代表)は「プロペラシャフトの長さが違っただけ」と語る。

プライベーターだけにタイヤ入手も悩みだった。ワークスのテストで使われたタイヤの周りでウロウロすると「久保田さん、持って行きなさい」と声が掛かり、それを使用した。間もなくタイヤメーカーがスポンサーにつく。

1970年5月の「全日本鈴鹿1000キロレース」では、70年当時のGT-Rプライベーターの雄、箕輪眞治と組み、総合2位、クラス優勝を果たした[2]

1971年からはマツダのロータリー軍団との争いが激化したことに伴って大きなレースにも出る機会が増え、同年9月4日の「富士GCシリーズ富士インター200マイルレース」においてワークスGT-R2台を従えての優勝を飾っている[3]。又この年には、「レース・ド・ニッポン6時間」(4月10日)や「全日本鈴鹿1000キロレース」(5月15日)、「富士1000キロレース」(7月25日)といった耐久レースに、ニッサン大森ワークスドライバー田村三夫鈴木誠一をコ・ドライバーとして組み自車で戦っている。

1972年10月のレースを最後にワークスGT-Rが撤退した後もGT-Rでレースに出場し続け、1973年7月28日の「全日本富士1000Kmレース」では正谷栄邦と組んで5位入賞を獲得している(クラス優勝)[3]。当時の当レースを紹介した雑誌記事には、次のようにと記されている。<quote>「レース中盤雨脚が強くなり、二台の日産車が躍進した。一台はワークスで唯一生き残っている歳森康師240Z、そしてもう一台は久保田洋史が駆るオールド・スカイラインGT-Rだ。二台はトップを大幅に上回るペースで狂ったように走り回った。久保田のGT-Rはストレートで左右に振られながらも独特の甲高いエグゾーストノートを撒き散らしながら他車をごぼう抜きして行った。久保田は歳森の240Zをも抜き去り、全盛を過ぎたGT-Rを猛雨の中に復活させた。」</quote>(久保田自身も、当レースは思い出深い一戦であったと後に語っている)[4]

また、同年10月10日開催の「富士GCシリーズ富士マスターズ250㌔レース」では、サニーエクセレントを駆り、トヨタワークスが誇るテクニシャン蟹江光正及び久木留博之セリカ1600GTを撃破しクラス優勝を果たした[3]。久保田最後のGT-R出場レースは窪寺泰昌と組みクラス優勝(総合6位)した、同年11月に行われた「富士ツーリストトロフィーパンナム500マイルレース」。引退レースの「'74富士ツーリング・チャンピオン・レース」(1974年3月)では、サニーエクセレントにて優勝を飾った[3]

2015年2月開催の1/24スケール・スロットカーレース「ゴールドスタードライバーKW(カーヴェー)チャレンジ」に出場、富士モータースポーツクラブ(FMC)の福士克二初代代表ほか鮒子田寛寺田陽次郎高橋晴邦関谷正徳はじめ往年の名選手と旧交を温めた[5]

戦績

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全日本ドライバー選手権

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1970年 PMC・S 日産・スカイラインGT-R T-Ⅱ SUZ SUZ FSW
2
TSU SUZ
1971年 SUZ
3
SUZ FSW
3
TSU TSU SUZ
1972年 SUZ
Ret
SUZ
3
SUZ FSW
2
SUZ SUZ FSW
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1972年 ファルコン・72 SUZ SUZ SUZ FSW
2
SUZ
DNS
SUZ FSW

鈴鹿1000km

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1970年  プリンスモータリストクラブスポーツ  箕輪慎治 日産・スカイラインGT-R T-Ⅱ 166 2位 1位
1971年  田村三夫 T-Ⅱ 20 DNF DNF

富士1000km

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1970年  プリンスモータリストクラブスポーツ  大塚光博 日産・スカイラインGT-R TS-Ⅲ 218 5位 3位
1971年  鈴木誠一 TS-Ⅲ 160 6位 2位
1972年  杉崎直司 TS-Ⅲ 24 DSQ DSQ
1973年  正谷栄邦 TS-Ⅲ 136 5位 1位

出典

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  1. ^ a b 歴史的ドライバーが年に1度集う観客を招かない大イベント – WEB CARTOP 2015年2月24日 『WEB CARTOP編集部』
  2. ^ レース情報(決勝)> 全日本鈴鹿1000キロ自動車レース”. 日本自動車連盟. 2015年10月24日閲覧。
  3. ^ a b c d ドライバー詳細(カテゴリ別)『久保田 洋史』”. 日本自動車連盟. 2018年8月1日閲覧。
  4. ^ 『日本の名レース100選 ('73 富士1000km)』イデア、三栄書房〈サンエイムック Auto sport archives〉、2006年11月。 
  5. ^ 桂 伸一 (2015年2月24日). “歴史的ドライバーが年に1度集う観客を招かない大イベント”. WEB CARTOP. 2018年8月1日閲覧。[リンク切れ]

外部リンク

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