久保内駅
北海道有珠郡に存在した胆振線の廃駅
久保内駅(くぼないえき)は、北海道(胆振支庁)有珠郡壮瞥町字久保内にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。電報略号はクホ。事務管理コードは▲131903[3]。
久保内駅 | |
---|---|
くぼない Kubonai | |
◄壮瞥 (6.8 km) (6.0 km) 蟠渓► | |
所在地 | 北海道有珠郡壮瞥町字久保内 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 17.1 km(伊達紋別起点) |
電報略号 | クホ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1940年(昭和15年)12月15日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1940年(昭和15年)12月15日 - 胆振縦貫鉄道伊達紋別駅 - 徳舜瞥駅(→新大滝駅)間開通に伴い、開業。一般駅[1]。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化[1]。路線名を胆振線に改称し、それに伴い同線の駅となる。
- 1954年(昭和29年) - 幌別鉱山が索道とトラックを介する形で、硫黄搬出駅を室蘭本線幌別駅から当駅に切り替え(幌別鉱山軌道及び幌別駅扱いが終了)。
- 1973年(昭和48年) - 幌別鉱山閉山。
- 1980年(昭和55年)5月15日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1]。同時に出札・改札業務を停止し、旅客業務については無人[4](簡易委託)化。列車交換設備を有し、運転要員は最終営業日まで継続配置。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
駅名の由来
編集駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された、列車交換可能な交換駅であった[7]。互いのホームは駅舎側ホーム東側と対向ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡した[7]。駅舎側ホーム(南側)が上りの1番線、入口部分に短い上屋とベンチが設置された[8]対向ホーム(北側)が下りの2番線となっていた[7]。そのほか1番線の伊達紋別方から駅舎側に分岐する行き止まりの側線を1線有し[7]、保線用モーターカーの留置に使用されていた[8]。
最終営業日まで、無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の南側に位置し、ホームとは通路及び構内踏切で連絡した[7]。乗車券類は簡易委託化されていた。
利用状況
編集- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は69人[7]。
駅周辺
編集山肌に接した高台に位置した[9]。
駅跡
編集1997年(平成9年)時点では住宅が建築されていた[9]。また草むらになっている。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、858頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ “札鉄 室蘭、千歳、胆振の3線区 営業近代化スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1980年5月18日)
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、78頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d e f g h i j 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)92ページより。
- ^ a b 書籍『追憶の鉄路 北海道廃止ローカル線写真集』(著:工藤裕之、北海道新聞社、2011年12月発行)280ページより。
- ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング、1997年5月発行)41ページより。
- ^ a b c d 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)