全長30m以上、古墳の形状は不明で、3世紀中葉の建造と推定される[1]。2世紀に建造された日本最古の前方後円墳の可能性があるとする論もある[2]。3か所の埋葬施設があり、それぞれ木棺等が出土している[1]。
- 第1号埋葬施設:箱形木棺が出土し、副葬品として木製枕、素環頭の鉄剣、鉄刀が各1点見つかっている[1]
- 第2号埋葬施設:舟形木棺が出土し、副葬品として25~58cmの鉄製刀4点が見つかっている。うち2点は木製の柄が付いたまま出土している[1]
- 第3号埋葬施設:大正4年に出土したとされる甕や刀が副葬されていたのではないかと推測されている[1]