丹羽 氏清(にわ うじきよ)は、戦国時代武将尾張国本郷城3代城主にして、同国岩崎城初代城主。

 
丹羽氏清
時代 戦国時代
生誕 文明17年(1485年
死没 永禄2年12月21日1560年1月18日)または7月21日
戒名 妙仙寺殿椿岩道壽庵主
墓所 長松寺(現愛知県日進市妙仙寺)
官位 若狭[1]
主君 織田信定織田信秀
氏族 一色丹羽氏
父母 父:丹羽氏興または丹羽氏員
兄弟 氏興、右京進
氏識、氏征、氏光
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大永元年(1521年)に先代氏興に代わり本郷城主になる。初めは尾張本郷城に住んでいたが、天文年間に尾張・三河国双方の要害の地である岩崎の地に城を築き、移り住んだとされる。しかし、それより前の享禄2年(1529年)、三河岡崎城主・松平清康と、織田信秀の属将・荒川頼宗との間で享禄(岩崎)の戦いが岩崎城にて起こっていることが判明している。

日進市妙仙寺の丹羽一族の墓

永禄2年(1559年)、死去。享年75。

脚注

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  1. ^ 『丹羽三草家譜』

出典

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