丹後大仏
京都府の仏像
丹後大仏(たんごだいぶつ)は、京都府与謝郡伊根町本坂にある大仏である。またの名を「筒川大仏」。現在の大仏(石造)は二代目で、初代は青銅製だった。
2017年(平成29年)4月、文化庁により、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー「日本遺産」の「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定された[1][2]。
特徴
編集開眼の由来
編集流行性感冒(スペインかぜ)で亡くなった、筒川製糸工場従業員ら42名の慰霊のため。
筒川製糸工場とは、丹後ちりめんを主要産業とする京都府丹後地方の内陸部、筒川の上流域に位置する農山村地域に1901年(明治34年)に創立された丹後繭糸蚕種生産販売組合を母体とした製糸工場で、山深い農村部の経済的発展に著しく貢献した[4]。のちに、新綾部製糸株式会社筒川工場と改名。1934年(昭和9年)頃まで操業した。
多くの死者が出て大仏建立に至った当時は、女工ら約130名を雇用していた。
所在地
編集- 伊根町 - 地理院地図
- 伊根町 - Google マップ
歴史
編集初代
編集青銅製の大仏で、鎌倉大仏を模して造られた。高さ8尺5寸(2.5メートル)、座幅6尺5寸(1.96メートル)で、周囲にはいずれも青銅製の、高さ1丈(3メートル)の灯籠が一対、竜口付直径3尺(90センチ)の大火鉢が一つ、高さ4尺(1.2メートル)の台付の狗犬一対が配置され、その他にも多くの石灯籠も並び据えられた[5]。費用は4,950円を要した[6]。
- 1917年(大正7年):筒川工場の慰安旅行で訪れた東京で感染した流行性感冒のため、帰郷後、従業員13人を含む42人が死亡[5]。
- 1919年(大正8年)4月8日:与謝郡伊根町本坂に、工場長品川萬右衛門自ら大仏を建造し、開眼入魂の式を行う。以後、毎年4月には盛大な花祭り供養が行われた。
- 1943年(昭和18年):金属類の供出令によって、灯籠・大火鉢・狗犬等、大仏以外のすべての青銅製の建立物が供出された。
- 1944年(昭和19年)3月:大仏本体が供出され、失われた。解体され、戦争で使う銃弾となったと思われる。
二代目
編集- 1945年(昭和20年):4月8日に開眼入魂が行われた。仏像が供出された後に境内が荒廃することを避けるため、同じ場所に建立された。品川偉太郎・品川俊・新田弁蔵・太田藤吉・小西武雄・新田八治郎の6名が主唱者となって大仏奉讃会を結成し、石仏建立を村民に呼びかけ、実現した[5]。
- 2020年(令和2年):新型コロナウイルス感染症の終息を祈念し、5月29日、清掃活動が行われた。同年は、感染症の終息を祈念し、近隣市町から訪れる人もいるという[3]。
交通アクセス
編集- 国道178号 → 府道57号弥栄本庄線沿線