丸野城
宮崎県宮崎市鏡洲(日向国)の城跡。
丸野城(まるのじょう)は、宮崎県宮崎市大字鏡洲(かがみず)小字丸野にあった日本の城(山城)。築城者・築城年代とも不明。双石山(ぼろいしやま)から派生した山にあり、古くから「じょうやま」と呼ばれていたという以外、城についての記録がない。
丸野城 (宮崎県) | |
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画像募集中(現地看板等) | |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 不明 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、空堀 |
指定文化財 | 不明 |
登録文化財 | 不明 |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 不明 |
再建造物 | 標柱・看板 |
位置 |
北緯31度49分08.0秒 東経131度23分38.5秒 / 北緯31.818889度 東経131.394028度座標: 北緯31度49分08.0秒 東経131度23分38.5秒 / 北緯31.818889度 東経131.394028度 |
地図 |
概要
編集伊東氏や島津氏ら、室町・戦国時代に日向国を舞台に活躍した武将らの古文書や歴史資料に見えず、城跡についても『宮崎県史』や『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書1・2』などの書籍に掲載されていない。記録と言えるものは、2017年(平成29年)に立てられた現地看板のみ。「丸野城」という城名も小字から後からつけられたもの。
南西の双石山から加江田川と鏡洲川の合流ポイントに向けて延びてきた山稜(標高90メートル)の末端が城跡である。城跡だが電波塔が建設されている。現地看板には、宮崎県と宮崎市の文化財課の調査(年次不明)により 曲輪や空堀が確認されている、と書かれている。
参考文献
編集- 『宮崎県史』1989年~2000年
- 『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書1』宮崎県教育委員会 1998年
- 『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書2』宮崎県教育委員会 1999年