丸由百貨店

日本の鳥取県鳥取市の百貨店

丸由百貨店(まるゆうひゃっかてん)は、株式会社丸由(まるゆう、: OYOU, INC.)が運営する日本の百貨店である。

丸由百貨店
OYOU
地図
地図
店舗概要
所在地 680-8601
鳥取県鳥取市今町2丁目151番地[1]
座標 北緯35度29分43.3秒 東経134度13分32.8秒 / 北緯35.495361度 東経134.225778度 / 35.495361; 134.225778座標: 北緯35度29分43.3秒 東経134度13分32.8秒 / 北緯35.495361度 東経134.225778度 / 35.495361; 134.225778
開業日 1937年(昭和12年)12月
(丸由百貨店)[2]
施設管理者 株式会社丸由
商業施設面積 11,973 m²[3]
前身 鳥取大丸(1949-2022)
最寄駅 JR鳥取駅
外部リンク https://oyou.co.jp/
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株式会社丸由
OYOU, INC.
種類 株式会社
市場情報 非上場[4]
本社所在地 日本の旗 日本
680-8601[1]
鳥取県鳥取市今町2丁目151番地[5]
設立 2018年(平成30年)6月
(株式会社ティー・エイ・オー)[6]
業種 小売業
法人番号 4270001007534 ウィキデータを編集
事業内容 百貨店
代表者 代表取締役社長 岡周一
資本金 1.8億円[1]
売上高 72.6億円
(2010年(平成22年)2月期)[1]
純利益 ▲3億1373万3000円
(2023年8月期)[7]
総資産 31億7452万6000円
(2023年8月期)[7]
主要子会社 丸由友の会株式会社
関係する人物 由谷正太郎米原章三[8] 米原正博
外部リンク https://oyou.co.jp/
特記事項:旧社設立:1937年(昭和12年)2月17日
(株式会社丸由百貨店)[5]
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歴史・概要

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鹿野街道沿いにあり、当時山陰一と言われた[9]江戸時代から続く老舗由谷呉服店(ゆたにごふくてん)を経営していた由谷正太郎[10]米原章三らと共に[8]、1937年(昭和12年)2月17日に資本金30万円で株式会社丸由百貨店(まるゆひゃっかてん)を設立し[5]鳥取駅前に鉄筋コンクリート4階建の店舗を建設して[9]、12月に開業したのが始まりである[2]

丸由百貨店は米原章三の意見で、当時繁華街ではなかった鳥取駅前に店を構え[8]、社長にも米原が就任するなど[11]、由谷呉服店が母体だったにもかかわらず創業時から米原が大きな力を持っていた。

鳥取大丸として営業開始

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第2次世界大戦後、1階のみで営業を再開。1949年(昭和24年)12月3日には[1]大丸と資本・業務提携を締結し、鳥取大丸(とっとりだいまる)として本格的に営業を再開した[12]

市の全世帯の半数に近い5,228戸が焼失した1952年(昭和27年)の鳥取大火災後には、徐々に店舗のある鳥取駅前周辺に商店街が移り[9]、1970年(昭和45年)に若桜街道の商店街にアーケードが設置され[13]、1972年(昭和47年)、同商店街にダイエー鳥取店が進出すると[9]、商業の中心地になって行ったこととも相俟って、鳥取を代表する百貨店に成長。1975年(昭和50年)には、区画整理と幹線道路の拡幅等が行われた市街地再開発事業に併せて[13]、同じく米原家が経営するホテルニューオータニ鳥取と共に[14]、総工費30億円を投じ[15]、一体的に建設された現在の店舗に移転・増床した[13]。営業面積は、旧店舗の約2倍の10,131㎡(地下1階、地上5階建て)で山陰地方最大の百貨店となった[15]

その後も1979年(昭和54年)に鳥取駅高架化に伴って、構内に整備されたショッピングセンターシャミネ[13]、1989年(平成元年)に鳥取駅南口側にジャスコ鳥取店を核とする「新日本海ショッピングタウン」(後の鳥取ショッピングシティ[16]、ダイエー鳥取駅南店(現在の鳥取市役所駅南庁舎)の進出などで[13]、鳥取駅周辺が中心市街地における大型店の集積地になっていった。

しかし、1966年(昭和41年)に鳥取大学農学部教育学部が郊外移転すると教職員や学生は中心街から遠ざかり[9]、2000年(平成12年)に鳥取駅から北西約5キロの郊外にジャスコ鳥取北(現在のイオンモール鳥取北[9]、その隣に2005年(平成17年)にトイザらスなどが入るショッピングセンター「トリニティモール」が開業[9]。2007年(平成19年)10月にジャスコ鳥取北店が大幅に増床して「イオン鳥取北ショッピングセンター」(32,272m2)としてリニューアルオープンした(認可は2006年)[9]。こうした急速に進んだ郊外への大型店進出に、同年、鳥取市は郊外型の大型ショッピングセンターの出店を規制する方針を打ち出した[9]。 その一方で、1960年(昭和35年)に1,608台から1975年(昭和50年)には2万4,000台に自動車保有台数が急増したモータリゼーションの進行は[9]、中心市街地の商店街への来街者を奪うなどしたため、2001年(平成13年)2月にダイエー鳥取駅南店は撤退[17]。サンロード入り口で1999年(平成11年)に3,692人を数えた来街者は、2006年(平成18年)1,525人と半分以下に、本町通りで1999年(平成11年)の2,452人が2006年(平成18年)1,725人で休日はもっと少なくなっていた[9]

これら商業環境の変化を受け、鳥取大丸では1995年(平成7年)から本格的に鳥取市周辺だけでなく鳥取県西部・島根県兵庫県岡山県を対象に通信販売に乗り出し、1999年(平成11年)4月1日に日本電信電話(NTT)と組んで通信販売としては西日本ではじめてのナンバー・ディスプレイとCTIを組み込んだシステムを導入するなど、通信販売の強化に取り組んだ[18]。しかし、この方針も実を結ばず、1997年(平成9年)2月期に140.04億円だった売上高が2000年(平成12年)2月期に約120.69億円と13.8%減少し[4]、そこにいわゆるリーマンショック以降の消費低迷が重なって[19]、2010年(平成22年)2月期で売上高が72.6億円とピークの約半分に落ち込んだ[1]。この結果、2009年(平成21年)6月中旬から希望退職者を募集し、8月末に正社員の約3割に当たる36人が退職。経営体制の見直しを進めた[19]

なお、2013年(平成25年)7月、鳥取市は鳥取駅前の再生を目指し鳥取大丸の東側に接する市道駅前太平線の歩道を拡張し、一部の歩道と車道を高さ約15mの大屋根で丸ごと覆い、大屋根の下には芝生広場(約300 m2)をつくった駅前太平線賑わい空間「バード・ハット」の整備を行っている[20][21]

丸由百貨店に

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2006年(平成18年)1月以降、創業家の米原家からは、米原正明が代表取締役社長に就任し[22]J.フロント リテイリング(JFR)から派遣された久保真人[1](元松坂屋上野店営業推進部長[23])が専務取締役を務めていた。

鳥取大丸は、非連結の関連会社ながらJFRグループの一員であると同時に[12]、米原が代表取締役社長を兼任している日ノ丸総本社や取締役を務める日ノ丸自動車[22]、と共に構成する佳友倶楽部にも加盟し、日ノ丸グループの一員でもあった[24]。だが赤字は膨らみ、2018年2月期決算は最終赤字に陥るなど債務超過転落寸前にまで至った。

このため2018年(平成30年)、JFRと日ノ丸グループとで再建策を検討した結果、日ノ丸グループと地元金融機関などが設立した地方再生ファンド「山陰中小企業支援4号投資事業有限責任組合」の2者により設立された新会社・株式会社ティー・エー・オーに百貨店の経営を移し、旧社を清算する「新旧分離」を実施することを決め、同年9月1日付で株式会社ティー・エー・オーから社名変更した株式会社鳥取大丸(2代目)による運営を開始した[25][6]。これにより、JFRとの資本関係は無くなったが、JFRとは商標商号ライセンス契約や商品調達に関する業務委託契約を締結し、「大丸」のブランド名は継続使用していた[26]。(旧)株式会社鳥取大丸は、9月1日に株式会社ティー・ディーへ商号変更し、本店所在地を東京都千代田区にある北浜法律事務所東京事務所内へ移転[27]。12月25日に東京地方裁判所から特別清算開始命令を受け[28]、翌年7月19日に法人格が消滅した。その後、鳥取大丸の事業は新たに設立された新会社へと分割され、多賀善仁が代表取締役社長に就任した。

2019年(令和元年)9月に経営陣を刷新。「鳥取を笑顔のあふれる街にすること」を目指し、第一弾リニューアルを実施、1階にはフランス化粧品ブランドロクシタン山陰1号店のほか、4階の無印良品売り場の7割増床を実施[29]。2020年(令和2年)4月には第二弾リニューアルとして、5階に鳥取市男女共同参画センターや展望スペースを配し、買い物以外でも来たくなる仕掛けを施した[29]。このほか、2023年(令和5年)には岡山の天満屋フランチャイズ運営する形で3階にロフトを出店している[30]

資本提携を解消後、移行措置として「大丸」の商号・商標を一定期間使えるライセンス契約は[31]、2022年(令和4年)8月31日をもって終了となったため、翌9月1日から創業時(とは同じだが読みが別)の丸由百貨店(まるゆうひゃっかてん)に屋号を変更した[32]。株式会社丸由への商号変更後も、大丸松坂屋百貨店との商品の仕入れなどに関してのMD業務委託契約は継続されている[33]

沿革

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  • 1937年(昭和12年)
    • 2月17日 - 資本金30万円で株式会社丸由百貨店(まるゆひゃっかてん)を設立[5]
    • 12月 - 丸由百貨店を開業。(鉄筋コンクリート4階建)[2]
  • 1949年(昭和24年)12月3日 - 大丸と資本・業務提携して株式会社鳥取大丸を開業[1]
  • 1963年(昭和38年)12月 - 子会社米子ストアが営業を開始。
  • 1971年(昭和46年)12月 - 米子ストアが米子大丸に業態変更。
  • 1975年(昭和50年) - 現在の店舗に移転・増床(ホテルニューオータニ鳥取と隣接)[13]
  • 1986年(昭和61年)4月19日 - 米子大丸の経営権が天満屋に移る。
  • 1995年(平成7年) - 通信販売に本格的に参入[18]
  • 2018年(平成30年)9月1日 - 新旧分離を実施、新会社による運営開始。
  • 2022年(令和4年)
    • 8月31日 - 「大丸」のライセンス契約満了に伴い、鳥取大丸としての通算約73年の歴史に幕を下ろす。
    • 9月1日 - 商号を株式会社丸由(まるゆう)、屋号を丸由百貨店(まるゆうひゃっかてん)に変更。
    • 9月3日 - (新)丸由百貨店として開業。

かつての子会社

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米子大丸

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1963年(昭和38年)12月、米子駅前に鳥取大丸の子会社でスーパー業態の米子ストアとして営業を開始[34]。1971年(昭和46年)12月にスーパー業態から百貨店に業態を変更するとともに米子大丸に改称した[34]。1978年(昭和53年)9月21日には、増築改装工事が完成し、新装オープン[35]。建物は地下1階、地上6階、塔屋1階で、売場面積は旧店舗の2倍の6,100㎡となった[35]。だが、その後立地環境の変化や競合の激化により、業績が悪化した[34]

大丸では、米子大丸の再建について検討を重ねたが、現店舗での営業継続は不可能と判断し、商品提携などで友好な関係にあった天満屋と経営権について話し合いを続けた[34]。その結果、店舗の移転を前提に天満屋が肩代わりすることで合意し、1986年(昭和61年)4月19日、経営権は天満屋に移った[34]

カードについて

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丸由独自のクレジットカードとして「OYOUカード」を、地場クレジットカード会社である株式会社エヌケーシーと提携し発行している。国際ブランドはVISAとJCBより選択が可能。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 丸由百貨店”. 丸由. 2012年4月29日閲覧。
  2. ^ a b c 鳥取県略年表 明治元年-平成22年 (Report). 鳥取県立公文書館. 2010.
  3. ^ 『国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編)』(レポート)、国土審議会調査改革部会、2000年6月。
  4. ^ a b 未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン 〜57社中、48社の売上高が減収〜 (Report). 帝国データバンク. 2001.
  5. ^ a b c d 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 62 
  6. ^ a b 鳥取大丸 百貨店事業、新会社で継続 経営不振で会社分割”. 産經WEST. 産業経済新聞社 (2018年7月14日). 2018年9月5日閲覧。
  7. ^ a b 株式会社丸由 第6期決算公告
  8. ^ a b c 『鳥取県郷土が誇る人物誌』鳥取県教育委員会、1990年3月。 
  9. ^ a b c d e f g h i j k 衣川恵. “地域情報 さびれゆく地方都市の中心商店街―鳥取市の事例―”. 地域総合研究第36巻第1・2号合併号 (鹿児島国際大学地域総合研究所) (2009-2). 
  10. ^ 新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年。 
  11. ^ 上田正昭 平山郁夫 西澤潤一 三浦朱門『講談社 日本人名大辞典』講談社、2001年12月6日。ISBN 4-06-210800-3 
  12. ^ a b J.フロント リテイリング Annual Review 2011 (Report). J.フロント リテイリング. 9 July 2011.
  13. ^ a b c d e f 倉持裕彌. “調査研究報告 地域生活空間 鳥取市の中心市街地商店街活性化に関する考察―社会構造の変化を踏まえて―”. TORCレポート No.26 (とっとり地域連携・総合研究センター) (2005). 
  14. ^ 日ノ丸自動車株式会社 第115期有価証券報告書 (Report). 日ノ丸自動車. 28 June 2005.
  15. ^ a b 大丸三百年史 2018, p. 298.
  16. ^ “鳥取駅周辺ににぎわいを…連携協議がスタート”. 日本海新聞 (新日本海新聞社). (2009年7月27日) 
  17. ^ “ダイエー鳥取閉鎖。来年2月 黒字化めど立たず 従業員136人は解雇へ。”. 日本海新聞 (新日本海新聞社). (2000年12月19日) 
  18. ^ a b “テレコム・アイ ナンバー・ディスプレイ+CTI 通販コールセンターシステム 株式会社鳥取大丸(鳥取県)”. テレコムニュース中国1999.7月号 No.143 (日本電信電話ユーザ協会 中国地方本部) (1999-7). 
  19. ^ a b “希望退職で正社員3割減/鳥取大丸、業績悪化で”. 四国新聞 (四国新聞社). (2009年9月18日) 
  20. ^ “今夏 大屋根を着工 鳥取駅前の太平線通り”. 日本海新聞 (新日本海新聞社). (2012年2月21日) 
  21. ^ “開閉式大屋根で鳥取駅前再生を 来春完成予定”. 朝日新聞デジタル. (2012年3月7日). http://www.asahi.com/travel/aviation/OSK201203060102.html?ref=reca 2024年10月26日閲覧。 
  22. ^ a b 日ノ丸自動車株式会社 第121期有価証券報告書 (Report). 日ノ丸自動車. 28 June 2011.
  23. ^ 大丸、松坂屋の組織の一部改正と部長級の異動について (Report). J.フロント リテイリング. 31 July 2009.
  24. ^ 日ノ丸自動車株式会社 佳友倶楽部”. 日ノ丸自動車. 2013年3月17日閲覧。
  25. ^ 会社分割に関するお知らせ』(プレスリリース)株式会社鳥取大丸(旧社)、2018年7月13日http://www.daimaru-tottori.co.jp/notice.html2018年9月5日閲覧 
  26. ^ 株式会社鳥取大丸との合意書締結に関するお知らせ(J.フロントリテイリング 2018年7月13日 2021年4月13日)
  27. ^ 株式会社ティー・ディー国税庁法人番号公表サイト
  28. ^ (株)ティー・ディー(東京)/特別清算開始命令JC.net 2019年1月9日
  29. ^ a b 「(さんいん最前線)百貨店、生き残るには 鳥取大丸・米子高島屋・一畑百貨店」『朝日新聞』鳥取版 2022年9月1日 19頁
  30. ^ 藤本幸大 (2024年1月14日). “島根県内唯一のデパート閉店…「同じ山陰でがんばってきた、さびしい」隣県の百貨店長に危機感”. 読売新聞オンライン. https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20240114-OYO1T50004/ 2024年10月26日閲覧。 
  31. ^ 藤本幸大 (2022年5月24日). “大丸だった百貨店が「73年前の名称」に逆戻り、読み方の異なる「丸由」に変更”. 読売新聞オンライン. https://www.yomiuri.co.jp/economy/20220524-OYT1T50128/ 2024年10月26日閲覧。 
  32. ^ 「鳥取大丸」名消える 創業時の丸由百貨店で営業継続 - 日本海新聞 2022年5月23日
  33. ^ “鳥取大丸、店名を「丸由百貨店」に 9月から鳥取”. 日本経済新聞. (2022年5月23日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC236UZ0T20C22A5000000/ 2024年10月26日閲覧。 
  34. ^ a b c d e 大丸三百年史 2018, p. 362.
  35. ^ a b 大丸三百年史 2018, p. 330.

参考文献

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  • 新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会 編『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年11月。 
  • 鳥取県教育委員会 編『鳥取県郷土が誇る人物誌』第一法規出版、1990年3月。ISBN 447400129X 
  • 『日本人名大辞典』講談社、2001年12月。ISBN 978-4062108003 
  • 日本経済新聞社 編『流通会社年鑑 2003』日本経済新聞社、2002年12月。ISBN 978-4532211127 
  • J.フロント リテイリング株式会社『大丸三百年史』J.フロント リテイリング、2018年12月。 

関連項目

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外部リンク

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