丸山知一
射撃選手、自衛官
丸山 知一(まるやま ともかず[1]、1925年2月25日[2] - )は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。陸上自衛隊所属。1956年メルボルンオリンピックに出場[2]。アジア競技大会は2大会に出場し、1958年東京大会では1種目で銅メダルを獲得した。
経歴
編集現在の長野県松本市梓川地区出身[注釈 1]。東京機械技術員養成所[注釈 2]卒[4]。
1954年アジア競技大会(マニラ)では50mライフル3姿勢、300mライフル3姿勢、50mライフル伏射の3種目[注釈 3]に出場[5]
1956年メルボルンオリンピック時点では陸上自衛隊松本駐屯隊所属[4]。スモール・ボア・ライフル伏射およびスモール・ボア・ライフル3姿勢[注釈 4]の2種目に出場した。
1958年アジア競技大会(東京)では300mライフル3姿勢[注釈 5]に出場し、銅メダルを獲得した[5]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 長野県スポーツ協会によれば梓川村出身[3]であるが、梓川村の発足は1955年であり、1925年時点では梓村と倭村の2村があった。
- ^ 東京府機械工養成所として設立され、1938年に国に移管されて商工省東京機械技術員養成所になった学校。第二次世界大戦後には都立工業専門学校技術専修科を経て東京都立大学工学部別科、次いで東京都立工業短期大学になった。
- ^ ISSFのカテゴリではそれぞれ、50m Rifle 3 Positions Men (FR3X40)、300m Rifle 3 Positions Men (300FR3X40)、50m Free Rifle 40 shots prone - (FR40PR)。
- ^ 「スモール・ボア・ライフル伏射」「スモール・ボア・ライフル3姿勢」はJOCで用いられている種目名。ISSFのカテゴリではそれぞれ、50m Rifle Prone Men (FR60PR)、50m Rifle 3 Positions Men (FR3X40)[5]。
- ^ ISSFのカテゴリでは、300m Rifle 3 Positions Men (300FR3X40)。
出典
編集- ^ a b “スポーツ振興功績者表彰”. 公益財団法人長野県スポーツ協会. 2021年5月1日閲覧。
- ^ a b c “Tomokazu Maruyama”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
- ^ a b “オリンピック出場選手 長野県関係”. 公益財団法人長野県スポーツ協会. 2021年5月1日閲覧。
- ^ a b 束原文郎 2013, p. 266.
- ^ a b c d “Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。
参考文献
編集- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- Tomakazu MARUYAMA - 国際射撃連盟 (ISSF)
- オリンピック日本代表選手団記録検索:「丸山、知一」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)