中院通氏

南北朝時代の公卿

中院 通氏(なかのいん みちうじ)は、南北朝時代公卿大納言中院通冬の子。官位正二位権大納言中院家7代当主。

 
中院通氏
時代 南北朝時代
生誕 貞和3年/正平2年(1347年
死没 応永2年7月6日1395年7月23日
改名 通治→通氏
官位 正二位権大納言
主君 後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 中院家
父母 父:中院通冬、母:少将内侍
兄弟 通氏通敏禅守
万里小路仲房の娘
通守
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経歴

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中院通冬の子として誕生。母は少将内侍。

中院家不遇の時代

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父・通冬が一時南朝に参じたこともあり、北朝では不忠とされ通氏の時代になると中院家は不遇をかこつことになった。通氏は権中納言在任が20年に及び、その間は何の兼官もなかった。万里小路家から妻を迎えたことは、少しでも足利将軍家に接近しようと考えたためと推測される。 中院家が復権してくるのは、中院家出身としては久しぶりに従一位に叙せられた孫の通淳の時代になってからである。

系譜

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参考文献

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