中野猛雄
日本の政治家
中野 猛雄(なかの たけお、1883年〈明治16年〉11月2日[1] - 1950年〈昭和25年〉8月27日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。
中野猛雄 なかの たけお | |
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生年月日 | 1883年11月2日 |
出生地 |
日本 熊本県天草郡碇石村 (現・熊本県天草市) |
没年月日 | 1950年8月27日(66歳没) |
死没地 |
日本 熊本県天草郡本渡町 (現・熊本県天草市) |
出身校 | 早稲田大学政治経済科卒業 |
所属政党 | 立憲政友会 |
親族 | 娘婿・吉田重延(衆議院議員) |
選挙区 | 熊本県第2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1928年 - 1937年3月31日 |
熊本県会議員 | |
選挙区 | 天草郡選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1923年 - 1927年 |
宮地岳村長 |
経歴
編集熊本県天草郡碇石村(現・天草市)生まれ[3]。1907年(明治40年)早稲田大学政治経済科卒[4][5]。宮地岳村長を務めた[4][5]。1923年(大正12年)、熊本県会議員選挙に天草郡選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した[6]。1927年(昭和2年)に退任した[7]。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙で熊本2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して初当選。以来4回連続当選した[5]。
他、肥州窯業、九州新聞(現:熊本日日新聞)の各社長[4][5]、中西銀行、九州商船などの取締役も務めた[4]。
戦後、公職追放となった[8]。追放中の1950年8月27日14時20分、天草郡本渡町(現・天草市)の自宅で死去した[2]。
家族
編集脚注
編集- ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、31頁。
- ^ a b 『国会 3(10)(30) 24コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院議員略歴 第1回乃至第18回総選挙 208コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』450頁。
- ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ株式会社、2003年、443頁。
- ^ 『熊本県議会史 第3巻 956コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『熊本県議会史 第4巻 1084コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 公職追放の該当事項は「九州新聞社取締役社長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、418頁。NDLJP:1276156。)
- ^ 『熊本人間山脈 14コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056