中野 二郎(なかの じろう、1902年4月10日 - 2000年6月10日)は、日本のマンドリン奏者[1]・指揮者[1]作曲家編曲家

概要

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愛知県瀬戸市出身[1]愛知県立工業学校図案科卒。1920年(大正9年)に名古屋高等工業学校建築科に助手として採用されると、初任給20円で当時日本では珍しかったマンドリンを購入[1]。マンドリンのほかギター演奏および作曲を独学で習得し、マンドリン合奏曲・マンドリン独奏曲・ギター独奏曲を作曲。また『一茶さん』などの童謡作曲家としても知られる。1922年に助手の職を辞して本格的に演奏・作曲活動を始め、1945年からはNHK名古屋放送管弦楽団の指揮者を務めた。『パガニーニの主題による30の変秦曲』が1954年のイタリア国際ギター作曲コンクールに入賞している。数多くのイタリア管弦楽曲吹奏楽曲を日本に紹介し、マンドリンオーケストラのために編曲。その際に収集した資料の多くは同志社大学附属機関である図書館(中野譜庫)に保存されている。

生涯の作曲数は700曲以上[1]。世界から約1万5千点の楽譜を収集し、1985年(昭和60年)に同志社大学図書館に寄贈された(中野譜庫)[1]

主な作品

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ギター独奏

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マンドリン独奏

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マンドリンオーケストラ

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  • 組曲「漁村の一夜」
  • 本朝昔噺絵本
  • アイヌわらべ歌による綺想曲

編曲作品

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脚注

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出典

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外部リンク

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