中浜 一三(なかはま いちぞう、1908年3月8日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5]中濱 一三と表記されることもある。本名同じ[1][2][3][4][5]。大正末期から昭和初期にかけて、松竹蒲田撮影所のB級作品に活躍した二枚目俳優である[1][2]

なかはま いちぞう
中濱 一三
中濱 一三
1928年の写真、満20歳。
本名
生年月日 (1908-03-08) 1908年3月8日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座
身長 160.6cm
職業 俳優
ジャンル 演劇劇映画時代劇現代劇サイレント映画
活動期間 1914年 - 1930年
主な作品
錨の旗風
勇敢なる恋
尻に敷かれて
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来歴・人物

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1908年(明治41年)3月8日東京府東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座)に生まれる、とされている[1][2][4][5]。『日本映画年鑑 大正13年・14年』(東京朝日新聞発行所)には、生年月日は「明治四十年九月十六日」(1907年9月16日)、生地は兵庫県神戸市兵庫区である旨が記されている[3]

1914年(大正3年)、6歳の時に市川壽藏の弟子となり、初舞台を踏む[1][2][3][4][5]。その後、兵庫県立神戸第一中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を中退[3]1924年(大正13年)、16歳で松竹蒲田撮影所に入社[1][2][3][4][5]。デビュー作である島津保次郎監督映画『城ヶ島の雨』で早くも認められ、以後、二枚目俳優として多数の作品で主演を務めた[1][2][3][4][5]1929年(昭和4年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』(映画世界社)によれば、東京府東京市神田区表神保町(現在の東京都千代田区神田神保町及び神田小川町辺り)に住み、身長は5尺3寸(約160.6センチメートル)、体重は14貫500匁(約54.4キログラム)、実兄は南明座の映画技師であるという旨が記されている[5]

ところが、1930年(昭和5年)に公開された牛原虚彦監督映画『若者よなぜ泣くか』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[1][2]。トーキー作品への出演は1作もなく、出演作品はすべてサイレント映画であった。没年不詳

出演作品

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松竹蒲田撮影所

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全て製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹」、全てサイレント映画である。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、411頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年。
  3. ^ a b c d e f g h 『日本映画年鑑 大正13年・14年』東京朝日新聞発行所、1925年、156頁。 
  4. ^ a b c d e f g 『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』映画世界社、1928年、64頁。 
  5. ^ a b c d e f g h 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』映画世界社、1929年、82頁。 

外部リンク

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