中河美芳
中河 美芳(なかがわ みよし、1920年2月22日 - 1944年7月12日)は、鳥取県岩美郡富桑村(現:鳥取市)出身のプロ野球選手(一塁手、投手)。
中河の一塁守備を撮影したブロマイド | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 |
鳥取県岩美郡富桑村 (現:鳥取市) |
生年月日 | 1920年2月22日 |
没年月日 | 1944年7月12日(24歳没) |
身長 体重 |
173 cm 64 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手、投手 |
プロ入り | 1937年 |
初出場 | 1937年 |
最終出場 | 1941年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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野球殿堂(日本) | |
選出年 | 1986年 |
選出方法 | 特別表彰 |
この表について
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来歴・人物
編集富桑村大字行徳の中河松蔵の四男として出生。富桑尋常小学校から旧制鳥取第一中学校へ入学し、夏の甲子園に2回出場。5年時の第22回大会では一塁手として出場した[1]。
1937年に旧制関西大学へ進学するが、同年8月に3か月で中退してイーグルスに入団。父親を亡くしていたため、職業野球で稼ぐ必要性があったためと伝えられる[2]。一塁手と投手を兼任し、1938年秋のシーズンには防御率1.98でリーグ3位、1939年には打率.282でリーグ8位を記録するなど、層の薄いチームにあって投打の中心として活躍。内野手から送球を受ける際、地面に着くほど両足を前後に大きく広げ、どんな球にも吸い付くように捕球する完璧な一塁の守備は「タコ足」「タコの中河」と呼ばれ、それを見るために球場に足を運ぶファンが多かったと言われている。
投手としては1941年6月22日の対名古屋軍戦で石原繁三との継投ノーヒットノーランを記録したこともあるが、この年のシーズンを最後に応召。1944年にルソン島沖で戦死した。1986年に特別表彰として野球殿堂入り。鳥取県出身者では最初の殿堂入りとなった[1]。
選手としての特徴
編集内野手がゴロを捕るとスタンドから「悪送球しろ!」というヤジが飛び、正しく送球されるとブーイングが起こったほど、一塁守備の技量に優れた名手だった。当時のグローブは厚い手袋のような形が一般的であったが、球が収まりやすいようにミットの親指と人差し指の間を網状に加工しており、その流れは現在のファーストミットに受け継がれている[3]。
パシフィック・リーグ広報部長を務めた伊東一雄は小学生時代に憧れたプロ野球選手として中河の名を出している。メジャーリーグ通として知られた伊東は生前に「後年、大リーグの上手い一塁手をかなり目にしたが、中河の方がずっと上手かった、と今でも思っている」と述べている。ショートバウンド捕球では内野手からの送球に対し、右手のファーストミットをバーンと地べたに叩き付ける。送球を後逸したかのようなフリをして後ろを向く。ところが球はしっかりと網に引っ掛かるというような芸当も見せていた[4]。ある試合で『失策』を記録したが、その理由が「ファーストミットがスパイクの金具に引っかかったため」という、常識では考えにくいような逸話も残されている。
なお、守備に目を奪われがちであるが打撃もしぶとく、試合ではもっぱら五番を打つことが多かったという。
学生時代から左投げ左打ち。資料としては残っていないが、米子中の左腕エース・清水秀雄攻略のため、右打席にも立ったことがあるといわれ、スイッチヒッターの草分けだったと推測される[2]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1937秋 | イーグルス 黒鷲 |
48 | 191 | 161 | 22 | 40 | 7 | 2 | 0 | 51 | 22 | 2 | -- | 9 | -- | 18 | -- | 3 | 17 | -- | .248 | .335 | .317 | .652 |
1938春 | 32 | 134 | 111 | 6 | 30 | 0 | 0 | 0 | 30 | 18 | 2 | -- | 4 | -- | 19 | -- | 0 | 9 | -- | .270 | .377 | .270 | .647 | |
1938秋 | 31 | 118 | 107 | 9 | 17 | 1 | 0 | 0 | 18 | 6 | 1 | -- | 1 | -- | 10 | -- | 0 | 11 | -- | .159 | .231 | .168 | .399 | |
1939 | 78 | 312 | 291 | 23 | 82 | 7 | 2 | 0 | 93 | 26 | 10 | -- | 2 | 1 | 18 | -- | 0 | 22 | -- | .282 | .324 | .320 | .643 | |
1940 | 100 | 408 | 371 | 34 | 85 | 11 | 3 | 1 | 105 | 24 | 5 | -- | 6 | 1 | 29 | -- | 1 | 25 | -- | .229 | .287 | .283 | .570 | |
1941 | 84 | 320 | 301 | 18 | 71 | 4 | 1 | 0 | 77 | 27 | 7 | -- | 2 | -- | 17 | -- | 0 | 7 | -- | .236 | .277 | .256 | .533 | |
通算:5年 | 373 | 1483 | 1342 | 112 | 325 | 30 | 8 | 1 | 374 | 123 | 27 | -- | 24 | 2 | 111 | -- | 4 | 91 | -- | .242 | .302 | .279 | .581 |
- イーグルスは、1941年に黒鷲(黒鷲軍)に球団名を変更
年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1937秋 | イーグルス 黒鷲 |
20 | 18 | 12 | 1 | 0 | 13 | 5 | -- | -- | .722 | 654 | 154.0 | 126 | 0 | 63 | -- | 0 | 58 | 1 | 0 | 58 | 35 | 2.05 | 1.23 |
1938春 | 7 | 6 | 3 | 2 | 0 | 3 | 1 | -- | -- | .750 | 190 | 46.0 | 35 | 0 | 19 | -- | 0 | 25 | 0 | 1 | 17 | 9 | 1.76 | 1.17 | |
1938秋 | 12 | 11 | 8 | 0 | 1 | 5 | 2 | -- | -- | .714 | 372 | 90.1 | 72 | 4 | 31 | -- | 0 | 51 | 0 | 1 | 27 | 20 | 1.98 | 1.14 | |
1939 | 17 | 12 | 9 | 2 | 0 | 6 | 6 | -- | -- | .500 | 475 | 110.0 | 94 | 1 | 54 | -- | 3 | 43 | 0 | 0 | 39 | 20 | 1.64 | 1.35 | |
1940 | 32 | 20 | 15 | 0 | 0 | 7 | 15 | -- | -- | .318 | 832 | 193.0 | 164 | 6 | 108 | -- | 2 | 55 | 2 | 0 | 92 | 69 | 3.22 | 1.41 | |
1941 | 23 | 14 | 7 | 3 | 0 | 7 | 9 | -- | -- | .438 | 584 | 143.1 | 118 | 5 | 60 | -- | 0 | 27 | 0 | 0 | 42 | 37 | 2.31 | 1.24 | |
通算:5年 | 111 | 81 | 54 | 8 | 1 | 41 | 38 | -- | -- | .519 | 3107 | 736.2 | 609 | 16 | 335 | -- | 5 | 259 | 3 | 2 | 275 | 190 | 2.32 | 1.28 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- イーグルスは、1941年に黒鷲(黒鷲軍)に球団名を変更
表彰
編集- 野球殿堂特別表彰(1986年)
背番号
編集- 27 (1937年 - 1941年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 中河 美芳 なかがわ みよし - 野球殿堂博物館