中森明菜の太田君がんばって!
中森明菜の太田君がんばって![注釈 1](なかもりあきなのおおたくんがんばって)は、文化放送で1987年4月6日から1988年4月1日まで放送されていた、中森明菜がパーソナリティのラジオ番組。
中森明菜の太田君がんばって! | |
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ジャンル |
トーク番組 バラエティ |
放送期間 | 1987年4月6日 - 1988年4月1日 |
放送時間 |
月曜日 - 金曜日 23:40 - 23:50 (文化放送での放送時間) |
放送局 | 文化放送 |
制作 | 文化放送 |
ネットワーク |
NRN系列 (1987年10月から。#ネット局の節を参照) |
パーソナリティ | 中森明菜 |
ディレクター | 林宣昭[1] |
提供 | 文英堂、アース製薬、キユーピー |
特記事項: 文化放送では当時の夜ワイド番組『東京っ子NIGHTお遊びジョーズ』の内包番組として放送。 |
概要
編集中森明菜にとって文化放送でのメインパーソナリティは『中森明菜「ひとつめのサヨナラ」』(1982年10月 - 1984年12月)以来となる番組。文化放送では同じく1987年4月にスタートした夜ワイド番組『東京っ子NIGHTお遊びジョーズ』の内包番組として放送され、タイトルの「太田君」とは当時文化放送入社2年目の若手アナウンサーで当時『お遊びジョーズ』の金曜日パーソナリティだった太田英明に因む[2]。当時太田が“ちょっと気弱”キャラで売り出されていたことから、そのような気弱なリスナーを明菜が優しく励まし、全国の太田君にもエールを送るという趣旨の番組である[2]。水曜日には、ドジキャラや引っ込み思案な性格の人を「太田君」と称して言いまとめた「太田君の日」のコーナーがあった(後述)[3]。
1987年7月の時点で、番組に届くはがきの数は週に700〜800通、リスナーの男女比は女性6割で男性4割、女性リスナーは高校生以上、男性リスナーは中学生も多かったというデータが残っている[1]。多忙の中、届いたはがきは明菜自身が一通り目を通して本番で読むものを選んでいたという[1]。フリートークの内容も明菜自身が考えていた[1]。金曜日の「音楽の日」以外は曲はかからないことが多かった[1]。採用されたリスナーへのプレゼントは特になかったが、飛行機に乗った時にもらって来たという機内用品をプレゼントしたことがあった[1]。
後期から金曜日にはゴキブリの「ゴキちゃん」(声:京田尚子)という強烈毒舌のキャラクターが登場し、番組を盛り上げていた。
スポンサーは最初文英堂の一社だったが、1987年10月からアース製薬、キユーピーが加わった[4][5]。最初は文化放送のみでの放送だったが、1987年10月からNRN系列の各ネット局が加わった[6]。
本番組の最終回で明菜は「帰って来るよ、すぐに」と言い残した[7]が、ラジオパーソナリティ復帰はこの4年後の1992年4月からTOKYO FMでスタートした『中森明菜 FIFTY OFF』であった。
曜日別コーナー
編集- 金曜日:音楽の日
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- リスナーから音楽のリクエストを受け付けて紹介。当時明菜自身が気に入っていたブラックミュージックをオンエアすることも多かった[3]。
ネット局
編集- ネット局は全て1987年10月から、月曜日〜金曜日の放送。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i 月刊ラジオパラダイス 1987年8月号特集『アイドルラジオ 夏季講座』30-31頁。
- ^ a b ラジオパラダイス 1987年5月号「特集・'87春のラジオここが変わった!」22頁
- ^ a b c d e 明星 1987年8月号「おかひろみの満腹ラジオ」216頁
- ^ ラジオ新番組速報版 1987年春号(80頁)、1987年秋号(80頁)それぞれ文化放送番組表。
- ^ 【文化放送番組表】1985~89年 - ウェイバックマシン(2021年10月13日アーカイブ分)
- ^ ラジオ新番組速報版 1987年春号、1989年秋号 各AM局番組表。
- ^ ラジオパラダイス 1988年11月号 107頁
文化放送 月曜日 - 金曜日 23:40 - 23:50 枠 (1987年4月 - 1988年4月) |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
中森明菜の太田君がんばって!
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WILD KNIGHTS 男闘呼組
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