中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら やすとも[1]〉、1960年昭和35年〉1月1日 - )は、日本コラムニスト編集者アイドル評論家[2]

三重県志摩市出身。おたくという語の生みの親。ペンネームは、中森明菜からとったものである[3][4][† 1]

経歴

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中学卒業後、三重県立明野高等学校に入学するも一年の夏休み明けに自主退学。その後、東京の大学に進学していた5歳年上の兄を頼って上京し、東京の高校へと進学する[5]。最終学歴は明治大学付属中野高等学校中退と自称している[† 2]

1982年7月、ミニコミ誌ブームの中で、エンドウユイチ(=遠藤諭)達と共に、サブカルチャー総合ミニコミ誌の『東京おとなクラブ』(東京こどもクラブのもじり)を創刊[6]。同誌の発行人となり、NHK少年ドラマシリーズやCMなどを特集し、1985年まで不定期刊で5号まで出す。

1983年に『漫画ブリッコ』誌上で1983年6月号から9月にかけて『東京おとなクラブ』出張版として「『おたく』の研究」を連載した[7]。この中で、ガンダムファンやカリオストロファン、コミックマーケット出展者来場者、鉄道ファン(特に「撮り鉄」)などの「異様さ」をあげつらい、「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」を「おたく」と蔑称する(アキバ系参照)[† 3]。この記事掲載により一気に全国的に広まった。この記事が読者からの反発を受け、編集長の大塚英志も「おたく」を差別用語として連載を打ち切り、1983年12月号の3回目で連載中止になった[8][9][10]

1980年代半ばから浅田彰に認められ[11]1985年に筑紫哲也が編集長をしていた『朝日ジャーナル』誌の「新人類の旗手たち」コーナーに登場。売れないライターだったのがこれをきっかけに取材依頼が殺到し、テレビ出演するなど世に出ることになる[12]。以後、新しい世代のサブカルチャーの担い手として注目を浴び、田口賢司および野々村文宏と共に"新人類3人組"と呼ばれた。

1985年に『宝島』の1985年6月号から連載したオムニバス小説「東京トンガリキッズ」で小説家デビュー。1987年に単行本化。1988年の小説『オシャレ泥棒』は翌1989年に宮沢りえ主演でTBSでテレビドラマ化された[13]

1990年代は『SPA!』誌上で「ニュースな女たち」・「中森文化新聞」を10年以上にわたって連載[14]。さらに、1996年にはチャイドルという語を創始し[15][16]、1990年代後半のチャイドルブームの仕掛け人となった。村上綾歌岡明子りりあんせがわきりなどを発掘した。

2001年には、慶應義塾大学非常勤講師としてポップメディア史を教えた。

2008年に『野性時代』誌で20年ぶりの小説となる「学校で愛するということ」を連載[12]

2010年、50歳にして、初の純文学作品『アナーキー・イン・ザ・JP』を発表[17]。第24回三島由紀夫賞候補に挙がった[18]

人物

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ペンネーム歌手中森明菜にあやかって、エンドウから命名された[4][19]

中森本人は「新人類」という概念は信じておらず、来た仕事が断る理由もなく引き受けていたという[11]。『朝日ジャーナル』にはフリーで駆け出しの仕事をしていた頃より関わっていたが、筑紫哲也が同誌編集長の時期に『若者たちの神々』を連載していた頃、山崎浩一泉麻人とともに「宮武外骨の『滑稽新聞』をやってくれ」という依頼を受けた際、山崎や泉とは対照的に一人『神々製造業者御用!』という『若者たちの神々』を皮肉った記事を書いて問題になったという[20]

タレントの後藤久美子のタレント本『ゴクミ語録』を取材編集し、ドラマ原作となった『オシャレ泥棒』の執筆で女性アイドルと携わるようになり、以後はアイドル評論家を名乗っている[12]岡田有希子のファンでもあり、命日には四谷の現場へ必ず手を合わせに行っている[21][22]

1991年に宮沢りえ、観月ありさ牧瀬里穂の当時人気の3人をコラムで「3M」と名付けてちょっとした流行語になるが、宮沢の母親・光子に「(娘を観月や牧瀬と)一緒にするな」と怒られたという[23][15]

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件宮﨑勤が逮捕されおたくという概念がクローズアップされる。ほぼ全てのマスメディアが宮崎勤を糾弾する中、宮崎を擁護する論陣を張った大塚英志の姿勢に感銘し[† 4]、大塚と週刊誌での対談記事で再会した後、大塚らと共著で1989年に『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』を刊行[24]。しかし同書を出版したことで仕事はキャンセルされ、友人を失い、脅迫電話や脅迫状で脅されることになったという[25]

林真理子の小説『ワンス・ア・イヤー』文庫版に寄せた解説が、林本人から「林真理子論として最高」と言われていると感謝される[26]

文芸評論家から無視されてきた山田悠介の『親指さがし』に解説を寄せた。

コラム連載

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著書

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共著

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  • 竹内義和新世界のモーゼ : 非生産的文化論たる出版、1985年9月30日。
  • 週刊本『卒業〜Kyon2に向かって〜』』(田口賢司野々村文宏共著、朝日出版社、1985年)
  • 『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』(大塚英志共著、太田出版、1989年)
  • 『ニュースな女たち』(篠山紀信写真、扶桑社、1992年)
  • 『Namaiki』(篠山紀信写真、新潮社、1996年)
  • 『神話少女栗山千明』(篠山紀信写真、新潮社、1997年)
  • 『18 1/2-早川咲写真集』(沢渡朔写真、ぶんか社、1997年)
  • 『新世紀のリアル』(宮台真司藤井良樹共著、飛鳥新社 1997年)
  • 『東京アリス-ペーパームービー』(Shiro共著、角川書店、2004年)
  • 『ねらわれたアイドル 栗林三枝誘拐監禁事件 ペーパームービー』(Shiro共著、幻冬舎、2005年)
  • AKB48白熱論争』(小林よしのり宇野常寛濱野智史共著、幻冬舎、2012年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 明菜の実父(明男)と同音異字なのは意図したものかどうか不明。
  2. ^ 同校に嘗てあった定時制課程は、堀越高等学校トレイトコースと共に、タレントが多数在籍していたことで知られる。
  3. ^ この「おたく」とは、少年たちが第三者に声をかける際に使用した「お宅(おたく)は……」という呼びかけが始まりで、以前より一部業界関係者が少年らを指して「オタクくん」などと呼んでいたものである。
  4. ^ ただし、マスコミの、オタク=犯罪者という図式の恣意的な偏向報道・特撮やアニメ、スプラッターやスナッフビデオは一部であったにも関わらず、それらのみをクローズアップして映す等を批判しただけで、宮崎の犯罪行為そのものを擁護したわけではない。

出典

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  1. ^ 宝泉薫、ファッシネイション編『歌謡曲という快楽 雑誌『よい子の歌謡曲』とその時代』彩流社、2002年、p.54
  2. ^ ニコニコニュース ORIGINAL (2017年4月20日). “「握手会」はアイドルを疲弊させる? 現役アイドル×プロデューサー×評論家「人間の邪気のようなものを吸ってしまう」”. ドワンゴ. 2017年11月5日閲覧。
  3. ^ 中森明夫 『アイドルになりたい!』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2017年、168頁。
  4. ^ a b 2023年は #中森明夫復活祭”. 中森明夫note (2023年1月1日). 2024年2月4日閲覧。
  5. ^ 中森明夫 『アイドルになりたい!』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2017年、166-167頁。
  6. ^ 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、2009年、pp.175
  7. ^ 大塚英志『「おたく」の精神史 1980年代論』講談社現代新書、2004年、pp.27-28
  8. ^ 中森明夫「僕が『おたく』の名付け親になった事情」『別冊宝島104 おたくの本』JICC出版局、1989年、pp.89-100
  9. ^ 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、2009年、pp.122-124
  10. ^ 「my subculture Akio Nakamori interview」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、p.16
  11. ^ a b 「my subculture Akio Nakamori interview」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、p.16,20
  12. ^ a b c 中森明夫「アタシジャーナル48 ブレイク寸前の48歳です。」『週刊朝日』2008年2月22日号、p.105
  13. ^ オシャレ泥棒、TBSチャンネル公式サイト内
  14. ^ 長薗安浩「『週刊誌』コラムで構築した日本の九〇年代論 『女の読み方』中森明夫」『週刊朝日』2007年12月21日号、p.86
  15. ^ a b 中森明夫「アタシジャーナル151 沢尻エリカを心配する」『週刊朝日』2009年11月6日号、p.105
  16. ^ 中森明夫Twitter 2010年12月21日
  17. ^ 中森明夫「『大逆事件』から百年 元祖・肉食系男子、大杉栄の『恋』と『革命』」『新潮45』2010年11月号、pp.126-133
  18. ^ 第24回 三島由紀夫賞受賞作品発表 新潮社公式サイト内 2011年5月17日
  19. ^ 「my subculture Akio Nakamori interview」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、p.15
  20. ^ 「サブカル『真』論」(宮台真司、他)、ウェイツ、2005年、p.134-137
  21. ^ 没後30年 永遠のアイドル岡田有希子を中森明夫氏振り返る1/2 2/2日刊ゲンダイ2016年4月8日
  22. ^ 中森明夫 『アイドルになりたい!』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2017年、75頁。
  23. ^ 中森明夫「アタシジャーナル119 宮沢りえの思い出」『週刊朝日』2009年3月20日号、p.109
  24. ^ 中森明夫「『Mの世代』の宿命」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、pp.250-251
  25. ^ 香山リカ「秋葉原無差別殺傷事件と宮崎勤の死刑執行」『』2008年8月号、p.65
  26. ^ 林真理子「マリコのゲストコレクション 402 中森明夫」『週刊朝日』2008年2月22日号、pp.52-56

外部リンク

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