中村忠英
日本の陸軍軍人
中村 忠英(なかむら ただひで、1897年(明治30年)7月16日[1] - 1984年(昭和59年)1月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
中村 忠英 | |
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生誕 |
1897年7月16日 日本 愛媛県 |
死没 | 1984年1月20日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1897年(明治30年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第41期卒業[1]。1940年(昭和15年)に陸軍歩兵大佐に進級[2]、1941年(昭和16年)に第53師団参謀長に就任[2]。1944年(昭和19年)7月29日に第7方面軍司令部附に転じ[2]、8月1日に陸軍少将に進級[2]。太平洋戦争に出動した[1]。同年11月22日に第94歩兵団長に就任し[1]、スンゲイパタニの治安維持に当たった[1]。1945年(昭和20年)6月8日に陸軍歩兵学校附を経て[1]、8月19日に第322師団長心得に補された[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。