中村 ハル(なかむら はる、1884年明治17年)6月1日 - 1971年昭和46年)9月2日)は、日本教育者学校法人中村学園創設者。福岡県早良郡西新町(現在の福岡市早良区西新)生まれ。

略歴

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1902年(明治35年)福岡県立師範学校卒業後、福岡県内の小学校訓導、松崎実業女学校教諭、横浜、神戸などで高等小学校訓導を務め、かたわら熱心に料理の実地研究を進め、帝国ホテル目黒雅叙園等の一流店に乗り込んだ。中村屋のカレーライスを学びたく見学を申し込むが断られた時は、中村屋の婿養子がラース・ビハーリー・ボースであることに目をつけ、同郷であった玄洋社頭山満に紹介状を書いてもらい(独立運動家ボーズは頭山にかくまわれていたことがあった)見学を実現した[1]。後に、この時学んだカレーは大変な評判となり料理バザーでは全体で当時20万円の収益を上げ、空襲で焼けた校舎再建の資金となった。[2]1930年(昭和5年)九州高等女学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)に勤務。1949年(昭和24年)中村割烹女学院(現・中村調理製菓専門学校)創立、1953年(昭和28年)中村学園を設立し理事長となり、1954年(昭和29年)福岡高等栄養学校(現・中村学園大学)、さらに中村栄養短期大学(現・中村学園大学短期大学部)を創立、1965年(昭和40年)学長となり、また全国料理学校協会長、福岡県日の丸会副会長も務めた。1963年(昭和38年)藍綬褒章受章、1965年(昭和40年)勲三等瑞宝章受章、1971年(昭和46年)従四位勲三等宝冠章追叙[3]

書籍

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  • 『郷土に立脚したる家事科の施設及び指導の実際』
  • 『日本女性の教育』
  • 『自伝・努力の上に花が咲く』

脚注

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外部リンク

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