中川芳江
日本の女優
中川 芳江(なかがわ よしえ、1886年2月10日 - 1953年4月7日)は、明治末期・大正・昭和初期にかけての日本の女優。夫は映画監督の賀古残夢。妹は女優の小松みどり。改姓後の本名は賀古 芳子(かこ よしこ)。旧姓は谷[1]。
なかがわ よしえ 中川芳江 | |
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本名 | 賀古芳子(旧姓・谷) |
生年月日 | 1886年2月10日 |
没年月日 | 1953年4月7日(67歳没) |
出生地 | 東京府小石川区(現・東京都文京区) |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1911年 - 1940年 |
配偶者 | 賀古残夢 |
著名な家族 | 小松みどり(妹) |
人物・経歴
編集東京府小石川区(現、東京都文京区)出身[1]。もともとは舞台女優で、1911年(明治44年)東京真砂座の女優劇に出演し、翌年京都大正座に出演。その後映画にも進出し1920年(大正9年)に松竹蒲田撮影所に夫の賀古残夢とともに入社。さらにその後マキノ映画製作所、東亜キネマへ移籍する。映画出演作は多く、母親役、老婆役が多いのが特徴。特に夫の賀古や衣笠貞之助ら有名監督の信頼は厚かった。1940年(昭和15年)に引退[1]。
映画
編集- 『片羽鳥』(監督:池田義臣)
- 『海の極みまで』(監督:賀古残夢)
- 『野の花』(監督:賀古残夢)
- 『大西郷の死』(監督:賀古残夢)
- 『運命の子』(監督:島津保次郎)
- 『月魄』(監督:賀古残夢)
- 『火華』(監督:賀古残夢)
- 『白鳥の死』(監督:賀古残夢)
- 『底なしの湖』(監督:賀古残夢)
- 『噫新高』(監督:島津保次郎)
- 『復讐者』(監督:賀古残夢)
- 『忠と孝 第一篇 烈女お初』(監督:沼田紅緑)- 尾上
- 『侍甚七捕物帳』(監督:後藤秋声)- お定
- 『恋の猟人』(監督:二川文太郎)- よし子
- 『愛の牢獄』(監督:阪田重則)
- 『恋とはなりぬ』(監督:衣笠貞之助)
- 『血に狂ふ者』(監督:金森万象)
- 『或る兄弟と城主』(監督:仁科熊彦)- お房
- 『邪宗門の女』(監督:衣笠貞之助)
- 『殺生村正』(監督:沼田紅緑)- お藤
- 『江戸怪賊伝 影法師』前篇/後篇(監督:二川文太郎)- 母
- 『恋と武士』(監督:衣笠貞之助)
- 『無宿者伝八』(監督:沼田紅緑)- お谷
- 『春怨』(監督:賀古残夢)
- 『盲目の使者』(監督:賀古残夢)
- 『哀愁の丘』(監督:賀古残夢)
- 『孝女白菊』(監督:賀古残夢)
- 『並木路寂し』(監督:賀古残夢)
- 『磯の仇浪』(監督:細山喜代松)
- 『漁村の秋』(監督:賀古残夢)- お吉
- 『村の悲劇』(監督:賀古残夢)
- 『京洛秘帖』(監督:衣笠貞之助)
- 『海国記』(監督:衣笠貞之助)- お妙
- 『風雲城史』(監督:山崎藤江)- 節女
- 『長恨夜叉』(監督:衣笠貞之助)- 佐和
- 『大瀬半五郎』(監督:星哲郎)
- 『十字路』(監督:衣笠貞之助)- 女を売る婆
- 『夜の裏町』(監督:冬島泰三)
- 『塙保己一』(監督:友成用三)
- 『徳川天一坊』(監督:小石栄一)
- 『仇討ばやり』(監督:竹内俊一)
- 『曲る刃』(監督:石山稔)
- 『盆槍権兵衛』(監督:中根龍太郎)
- 『箕輪心中』(監督:服部静夫)- お時
- 『妖魔綺譚』(監督:星哲六)- 寺院の老婆
- 『平五郎兄弟』(監督:冬島泰三)- 勝巳屋女将
- 『雪之丞変化』第一篇/第二篇(監督:衣笠貞之助)- おさん婆
- 『かごや判官』(監督:冬島泰三)- おます
- 『蹴手繰り音頭』前篇/後篇(監督:井上金太郎)- 木賃宿の女房
- 『忠次と頑銕』(監督:星哲六)- 治三郎の母
舞台
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ a b c 中川芳江 20世紀日本人名事典 コトバンク 2018年7月9日閲覧
外部リンク
編集- 中川芳江 - 日本映画データベース
- 中川芳江 - 文化庁日本映画情報システム