中川 良長(なかがわ たかなが、1876年明治9年〉10月27日[1] - 1948年昭和23年〉8月20日[1][2])は、明治から昭和期の実業家政治家奈良華族貴族院男爵議員

中川良長

経歴

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華族・中川興長の長男として生まれる[1][3][注釈 1]。父の死去に伴い、1920年(大正9年)6月10日、男爵を叙爵した[1][4][5]

1905年(明治38年)学習院大学科を卒業[2]。同年、日本銀行に入行[2]。その後、東京電燈監査役などを務めた[2][4]

1921年(大正10年)2月12日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]1925年(大正14年)7月10日まで在任[2]。さらに1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]公正会に所属して1946年(昭和21年)4月13日に辞職するまで通算二期在任した[2][10][11]

栄典

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親族

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  • 先妻:千菊(ちきく、渡辺千秋四女、離縁)[1]
  • 後妻:いそ(鈴木某女)[1]
  • 長男:浩長[1]
  • 長女:秀月(長福寺住職、旧名・芳子)[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録』第14版 下、ナ30頁では二男。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、229頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』79頁。
  3. ^ 『華族畫報』下、833頁。
  4. ^ a b 『人事興信録』第14版 下、ナ30頁。
  5. ^ 『官報』第2357号、大正9年6月11日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
  7. ^ 『官報』第2558号、大正10年2月14日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
  9. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、55頁。
  11. ^ 『官報』第5795号、昭和21年5月13日。
  12. ^ 『官報』第869号「叙任及辞令」1929年11月20日。

参考文献

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日本の爵位
先代
中川興長
男爵
中川家第2代
1920年 - 1947年
次代
華族制度廃止